top of page
検索

神秘体験は決して信頼できないが神通は自分の意志で管理できる

  • sapporobukkyoujuku
  • 4 日前
  • 読了時間: 1分

神秘体験は決して信頼できないが神通は自分の意志で管理できる

 脳の(心の)捏造機能を改良してない人々の神秘体験は、決して信頼できるものではありません。客観的に調べることができれば話は別です。しかし我々の脳は、突飛な経験、突飛な刺激を欲しがります。そして、常識を超えた何かを体験したら、その刺激にしがみつきます。忘れることはできなくなるのです。脳が麻薬に依存するのと似たはたらきです。

 では『アビダンマッタサンガハ』テキストで説明した神通も当てにならない経験でしょうか、という問題が起きます。瞑想とは計画的に脳を開発することです。瞑想中に起こる、常識を超える経験を「再現」できます。制御することもできます。自分の意志で管理することもできます。神通とは、心の能力を計画的に開発することです。わけも分からないときに突然起こる神秘体験とはまったく違います。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p120】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:① 光obhāsa

観察の汚れ:① 光obhāsa  Obhāsa とは光のことです。瞑想中、頭の中にじわじわと光が現れてきます。まぶしくなるほど明るくなる場合もあります。光とは目を開ければ見えるものですが、この光は目を閉じていても見えます。座る瞑想を止めて歩く瞑想などをするときも、この光がどこにでも現れるようになります。当然、そうでない場合もあります。どの程度の光かということは個人差があると思います。目で光を見るの

 
 
 
観察の汚れ

観察の汚れ  五番目の道非道智見清浄のステージにいる修行者は、徹底的に観察を続けています。無常・苦・無我という角度で観察していますから、頭の中で無数の概念が飛び回ることもありません。智慧も現れているし、集中力も高いです。それから必死になって修行をしています。このような優等生の修行者が、いくつかの神秘体験を経験することはあり得ます。中途半端な気持ちで修行する人には現れません。しかし、この体験は智慧を

 
 
 
五番目の道非道智見清浄のステージには十種類神秘体験だと名付けるべき経験が起こる

五番目の道非道智見清浄のステージには十種類神秘体験だと名付けるべき経験が起こる  サマタ瞑想からヴィパッサナー瞑想に入る修行者は、神秘体験・超越体験を目指していません。ヴィパッサナー瞑想は智慧が現れる瞑想です。観察能力が上達する度合いに合わせて、智慧が現れてくるのです。しかし、五番目の道非道智見清浄のステージに入る修行者に、少々困ったことが起こります。神秘体験だと名付けるべき経験が起こるのです。そ

 
 
 

コメント


bottom of page