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神秘体験は決して信頼できないが神通は自分の意志で管理できる

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月14日
  • 読了時間: 1分

神秘体験は決して信頼できないが神通は自分の意志で管理できる

 脳の(心の)捏造機能を改良してない人々の神秘体験は、決して信頼できるものではありません。客観的に調べることができれば話は別です。しかし我々の脳は、突飛な経験、突飛な刺激を欲しがります。そして、常識を超えた何かを体験したら、その刺激にしがみつきます。忘れることはできなくなるのです。脳が麻薬に依存するのと似たはたらきです。

 では『アビダンマッタサンガハ』テキストで説明した神通も当てにならない経験でしょうか、という問題が起きます。瞑想とは計画的に脳を開発することです。瞑想中に起こる、常識を超える経験を「再現」できます。制御することもできます。自分の意志で管理することもできます。神通とは、心の能力を計画的に開発することです。わけも分からないときに突然起こる神秘体験とはまったく違います。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p120】

 
 
 

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