私を知ることを智慧と言う
- sapporobukkyoujuku
- 4月29日
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身・受・心・法の四つを観ると私たちに何が分かるのでしょうか。この身体、身体の感覚、そして心、という三つは、私と名付けられる全てです。その三つを観察することは、私を発見することになるのです。主観的・偏見的な観察と違って、客観的な観察なので、私とは何かと、ありのままの事実として発見するのです。自分を調べただけで全てを知ったとは言えないでしょう、という異論は成り立ちます。しかし修行として観察を実践する人は、①自分のこと、②他人のこと、③自分と他人を含めて、という三つのステップで観察するから、問題はありません。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.】
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