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群盲状態

sapporobukkyoujuku
9月27日
読了時間: 1分

宗教・哲学の場合は、私たちはこの例えで出てくる群盲状態に陥っているのです。それも正直に、まじめに語る場合だけの話です。誇大妄想で悩んで、また金に目がくらんで、皆に拝まれることを狙って、語る人のことではありません。そのような人々は、詐欺師以外のなんでもありません。この例え話は、ほんのわずかな経験だけに頼って結論に走ることの危険性を示しています。同時に、ものごとを全体的に見るために必要な観察能力が欠けていることも示しています。群盲には視覚能力が欠けていたのです。私たちには観察能力が欠けているのです。大念処経はこの問題を解決して、観察能力を育てる方法を教えているのです。象が見えた瞬間、群盲が繰り広げた全ての議論が消えて平和になるように、私たちに観察能力が身につけば、全ての疑が消えて、心が平和になるのです。 

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p40

 
 
 

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