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群盲象を撫でる

sapporobukkyoujuku
9月25日
読了時間: 1分

群盲象を撫でる

 世のなかの思想・哲学は、アダムとイヴの神話物語みたいに何の根拠もない妄想だと切り捨てることもできないのです。正直な人は、何かの証拠があって自分の意見を語るのです。また別の人が、それに対立した反対意見を出すのです。そちらにもそれなりに証拠があるのです。その二人の間で「誰が正しいか決めましょう」ということになると、終わりが成り立たない議論の流れが起こるのです。実は、人の意見は認めるわけにはいきませんが、きれいに否定することも難しいのです。そこで人は、疑のままでいるはめになるのです。

 
 
 

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「受・心・法の随観」のあらまし  Vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, citte cittānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, dhammesu d

 
 
 
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効果 vineyya loke abhijjhādomanassaṃ  Vineyya loke abhijjhādomanassaṃ の意味は「世界における貪欲と憂いを除いて住みます」です。このフレーズも解説する必要があります。  身体の動きに気づいて観察すると、その人に他のことを考える余裕はないのです。過去や将来のことを考えて心配したり、妄想にふけって空想の世界に戯れたりする余裕がないのです。

 
 
 
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気づき satimā  Satimā の意味は「念をそなえ」です。Sati は念と訳するのが慣例です。  私たちはsati を「気づき」と訳します。気づきという語は、sampajāna とsati の間を取っています。  ヴィパッサナー実践をする方々に、瞬間瞬間の感覚を言葉で確認すること、ラベリングすることを推薦しています。それは、「念」ずることです。  歩くときに、足を「上げる、運ぶ、下ろす」と

 
 
 

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