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自ら確かめていないので疑の煩悩がある

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月30日
  • 読了時間: 1分

自ら確かめていないので疑の煩悩がある

どこかの神様のところで供養すれば、子宝に恵まれます。商売繁盛します、宝くじが当たります、病気が治ります云々という場合は、何の躊躇もなくそちらへ行って、供養するのです。「私は現世利益のみを期待して供養したのです。人が解脱に達するべきであることは本当の真理です」と言って、自分の行動を正当化します。迷信については、テーラワーダ仏教徒も西洋やインドに負けません。お釈迦様は星占いはおかしいとおっしゃっているのに、ほとんどの人々は星占いを信じます。

 では釈尊の教えを真剣に信じているテーラワーダ仏教徒たちの、この優柔不断は何なのでしょうか? それはとても自然な現象です。論理的に仏教が正しいと分かっていても、自ら確かめていないのです。ですから、疑の煩悩があるのです。疑の煩悩は、理解能力を揺るがします。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p101】

 
 
 

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