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自分で自分を洗脳する

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月10日
  • 読了時間: 1分

自分で自分を洗脳する

 要するに、大脳が原始脳に誘拐されているのです。大脳は誘拐犯の言うがままに行動しているのです。それで大脳の配線が現れますが、ろくな結果にはなりません。人間は獣のままです。貪瞋痴に支配されて生きています。存在欲とはかなわない希望です。したがって、恐怖感(怒り)も消えません。いくら配線しても、問題はそのままです。生涯学習しても同じことです。この状況は大脳にとって耐えがたいストレスです。死にたくないという気持ちはあっても、人は死ぬのだと大脳の方では知っています。しかし認めたくはありません。そこで誘拐犯にいくらか落ち着いてもらうために、大脳はイカサマを仕掛けます。「私が死んでも、私の魂は死にません」「死後、我々を永遠の天国に連れていく絶対的な神様がいます」などなどの妄想をつくります。これで原始脳が落ち着きます。自分で自分を洗脳するのです。証拠は一かけらもないのに、魂の存在を信じる。絶対的神様、阿弥陀様、観音様などを信じる。信じる者は救われる、とも言います。実際は信じる者が救われるのではなく、信仰という麻薬で脳が機能低下するだけです。現実が分からなくなるだけです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p134】

 
 
 

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