top of page
検索

自我に要求される

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月14日
  • 読了時間: 1分

自我に要求される 行動について、もう少々、説明が必要です。人は道徳を守ったり守らなかったりします。優しい言葉を語ったり、乱暴な言葉を使ったりもします。他人に親切な態度をとったり、不親切になったり、他を攻撃したり、他を無視したりもするのです。人には、一貫して正しく管理された生き方はありません。このように激しく揺れ動く生き方をするのも、自我のせいです。その都度その都度、自我に要求されるような生き方をするのです。嘘をついてはいけないと分かっているのに、自我が「嘘をついて自分を守れ」と命令すれば嘘をつきます。道徳を守ろうとがんばる人も、この世に結構います。しかしその人々は、自分の自我と対立しなくてはいけません。自我を抑えられるならば、道徳も守られます。自我を抑えられなくなった瞬間で、道徳は破れてしまいます。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p94】

 
 
 

最新記事

すべて表示
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 
強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する

強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する  果心が起きてから、心は有分心になります。それから普通の認識過程に戻ります。普通の認識過程といっても、五根から情報を得て混乱している心のレベルではありません。強烈な集中力で、観察能力がついている心です。その能力を活かして、観察します。ほんの瞬間前に何が起きたのか、観察するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サ

 
 
 

コメント


bottom of page