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苦しみと憂いが消える

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月8日
  • 読了時間: 1分

 次に「dukkhadomanassānam atthaṅgamāya 苦しみと憂いが消える」。Dukkha とは身体で感じる普通の苦しみです。Domanassa は心で感じる悲しみ。分析しようとすれば、いくらでも分析できます。先ほどのsokapariddava というのは自分の身体の外に起きたことなのです。もし、自分の子供が死んだとします。そうすると sokapariddava が生まれるのです。死んだのは自分ではなく子供です。しかし自分が悲しむのです。だから sokapariddava の場合は地震の例を出しました。Dukkhadomanassa は自分に起きた出来事です。地震が起きて自分の足を切断しなければならなくなった。命は助かったけれど自分の足は瓦礫に挟まれている、ということになったら、それは自分に起きたことです。そのときはdukkhaが生まれるのです。すごく痛いのだから。それからdomanassaも生まれる。精神的にすごい悲しみが生まれる。その二つ。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016、p.29】

 
 
 

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