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苦行とヨーガ

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月21日
  • 読了時間: 1分

苦行とヨーガ 苦行まがいの修行はいりません。当時インドでは、身体を戒めれば心の汚れがなくなると思っていた修行者たちもいました。彼らは身体を対象にした瞑想として、苦行を推薦したのです。仏教では不自然な、極端的な苦行には反対です。お釈迦様は、人が四六時中行なっている行住坐臥に気づきなさいと説かれるのです。当時のインドの宗教背景から考えると、大胆で革命的な提案です。しかし身体を不自然に動かすことが修行だと思う勘違いは、現在まで続いているのです。不自然な動きによって心が清らかになるという理論は、行住坐臥のような常識的な動きによって心が汚れるという前提から生じています。不自然な動きでいくら心を戒めても、修行者はまた自然な動きに戻らなくてはいけないのです。もし人が、常に行なっている行住坐臥に気づくことによって心の落ち着きと清らかさを得られるならば、それに越したことはないです。ブッダの瞑想方法には優れたポイントが二つあります。一、誰にでも簡単に実行できて、苦行にならないこと。二、獲得する心のやすらぎが、壊れて消えないことです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p73】

 
 
 

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