top of page
検索

衣・食・住・薬を必要とする意味を理解する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月26日
  • 読了時間: 2分

衣・食・住・薬を必要とする意味を理解する

 俗世間は、「生きていきたい」という生存欲の衝動でまわっています。出家はこの罠にはまってはなりません。出家は、生きていきたいという生存欲を断って、解脱を目指します。ですから、決して満たせない欲を満たそうとする愚かな努力をいい加減にやめるのです。その方法はいたって簡単です。資具に対して、最低の基準を心に徹底的にインプットするのです。そして、最低の基準を理解するだけではなく、衣・食・住・薬を必要とする意味も理解します。

 例えば、出家が食事をする目的を念じます。出家が皆、暗記する経典文句があります。「体力をつけるためではない。食欲にふけるためではない。美しくなるためではない。ただ、この肉体を維持するためです。空腹という苦しみを和らげるためです。修行の助けにするためです」。衣を着るときも、衣を着るたびに念じるべき経典文句があります。「寒さ暑さを避けるために、蚊・虫・蛇・風・陽射しなどに触れることを避けるために、恥ずかしいところを隠すために、この衣を着ます」。椅子、ベッド、住むところ等を使用するときに念じるフレーズも、これと似ています。ただし、恥ずかしいところを隠すため、という項目は「気候変動の苦しみを避けるために」というフレーズに入れ替えられています。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p70】

 
 
 

最新記事

すべて表示
疑とは何?

疑とは何?  ヴィパッサナー瞑想の悟りの智慧の四番目は、kaṅkhāvitaraṇa 度疑清浄です。  ここでは一行で説明していますね。「その名色の縁の把握を度疑清浄という」。それしか説明していません。Kaṅkhā は疑い、vitaraṇa は渡る、という意味です。つまり、疑で悩んでいる状態を越えることです。これもヴィパッサナー実践により修行者が得る智慧の一つです。疑というといろいろです。  誰で

 
 
 
智慧が現れる過程を七つに分ける

智慧が現れる過程を七つに分ける 当然、ヴィパッサナー実践も日常でおこなうものではないので、修行中、変わった経験が起こり得ます。しかし修行者は、それに執着もしない。解釈もしない。そのまま確認して放っておきます。そして、智慧が現れることを期待します。脳の捏造機能を破るために精進するのです。智慧が現れると、先入観が一切なくなると、ありのままの事実が観えるのだ、というスタンスです。 ありのままの事実とは、

 
 
 
神秘体験を得ることは目的でない

神秘体験を得ることは目的でない 例えば瞑想中、普通とまったく違った光を体験したとします。脳に起きた現象なので、否定する必要はありません。しかし「したがって、人の魂はまぶしく輝く光である」という哲学は駄目です。そのように言うための証拠はありません。長部経典の第一『Brahmajālasuttanta 梵網経』では、このポイントが明確に語られています。瞑想中、何を経験するか、分かったものではないのです

 
 
 

コメント


bottom of page