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見清浄と四つの観察

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月24日
  • 読了時間: 1分

見清浄と四つの観察 注釈書では、見清浄のとき、どのように観察するべきかを説明してありますが、かならずしもそのとおりにやる必要はないと思います。これから説明しますが、各修行者の能力に応じて、ある程度できるならば充分です。注釈書としてはすべてを説明する義務があるので、難しい説明になるのはやむを得ないところです。 修行者は物質の流れ(rūpa)と心の流れ(nāma)を区別して知っています。そこで複数のrūpa の中で何か一つのrūpa を選びます。また、複数のnāma の中から、何か一つを選びます。そして、選んだ現象をlakkhaṇa、rasa、paccupaṭṭhāna、padaṭṭhāna という四つの立場で観察するのです。これからこの四つの言葉の意味を理解しましょう。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p84】

 
 
 

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