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見解の世界から脱出

  • sapporobukkyoujuku
  • 2 日前
  • 読了時間: 1分

見解の世界から脱出 見解が人の命を支配しているのです。Diṭṭhi 見解は概念から現れます。我々の概念は正しくありません。各生命は自分の都合に合わせて、六根に入る客観的データを合成して捏造して概念にします。 例えば「草」という単語を考えてみましょう。視力のあるヤギがその対象を見て、「おいしい食べ物だ」と捏造する。人間は「ただの草ではないか」と無関心な態度をとる。それは人間の捏造です。ネズミの死骸があるとしましょう。それを見る人間は、「不潔で気持ち悪いものだ」と捏造する。カラスは「ご馳走だ」と捏造する。そのように、誰もが、あるがままにものごとを認識しないのです。認識データは、「自分にとってどうなのか?」というスタンスから捏造するものなのです。金を見る人間は、「高価なものだ。欲しいなあ。なんてきれいなんだ」などの感情で認識するでしょう。金属である金を見ていないのです。猫なら、金が目に入ってもきっと無関心な態度をとるでしょう。自分にとっては関係のないものだからです。このように生命は、五根に入るデータを自分の都合に合わせて捏造します。思考能力がある人間は、捏造の上にさらに捏造を加えて、見解をつくるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p76】

 
 
 

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