観察 kāye kāyānupassī viharati
四種類の気づきのなかで第一は、身体に(kāye)気づくことです。
次にanupassī という単語が出てきます。Passati とは「観る、観察する」という意味です。Passati の接頭辞anu は、観察の仕方を説明します。Anu は「沿う」という意味なので、身体に沿って観察する、という意味になります。パーリ語でgacchati と言えば「行く、歩く」という意味です。Anugacchati と言えば、誰かの後をついて行く・歩くことです。「身体に沿って身体を観察する」という場合も、身体の後をついて観察することになります。
身体というのは、常に動くものです。物のように停止しているのではありません。身体の動きに沿って、どのように動いているのかと観察するのです。
他人の身体の動きを観察すると、他人に怒られることでしょう。訴えられる可能性もあります。他人の身体の動きを観察しても、自分には何の役にも立ちません。ですから自分で自分の身体の動きを観察するのです。
それで「こんなのはできるのか」という疑問が生じます。「できない」ではなく、誰もやっていないだけです。ここで人は、科学的な観察方法を使用しなくてはいけなくなるのです。要するに、主観的に「私の身体」ではなく、客観的に「この身体の動き」を観察し始めるのです。
次の単語は、viharati です。Viahrati とは「生きる、生活する、住む」などの意味です。ですから客観的に「この身体の動き」を観察することを生活習慣にしなければいけないのです。これは「修行する」という意味になります。
日常の「身体に気をつける」こととは随分違います。
アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p44
コメント