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観察の汚れ:⑩ 微欲nikanti

  • sapporobukkyoujuku
  • 4月4日
  • 読了時間: 1分

観察の汚れ:⑩ 微欲nikanti

 微欲は発見しにくいです。これまでの九つの障碍には、それなりの理解があれば気づきます。それで障碍から抜けられます。しかし、nikanti はそれほど甘くありません。修行者は長い時間をかけて、観察の実践をしてきました。結構成長しています。智慧も現れています。ブッダの説かれた真理を自分の力で発見してもいます。ですから、この道(ヴィパッサナーの修行方法)は間違いなしです。これこそが歩むべき、実践すべき道なのです。当たり前のことです。これもまた、事実です。しかし、これが落とし穴になってしまうのです。自分でも気づかぬうちに、修行そのものが好きになっているのです。本当は、冷静な、さらに理性に基づいた修行に対する「好き」が必要です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p131】

 
 
 

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