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観智:⑧ 省察智は思惟智に似ている

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月28日
  • 読了時間: 2分

観智:⑧ 省察智は思惟智に似ている 心が解脱の方向へ向いたら、ある程度の落ち着きが起こります。ヴィパッサナーの智慧が現れていく過程で、心が激しいインパクトを受けるのです。未だかつてなかった真理が観えてくるので、インパクトが強いのです。④怖畏智が現れてくると、道場から逃げ出したい気分にまでなるものです。そのとき、指導する方々は、修行者をよく守って、励ましてあげます。 ⑤過患智、⑥厭離智までは、一切の現象は完全に危険で悪いものに観えても、どうすればよいのかという答えもなかったのです。そこで ⑦脱欲智が現れます。勢いよく広がりつつある山火事に人が包囲されていたとしましょう。逃げ場がないのです。死ぬことを覚悟して、怯えなくてはいけないのです。そのときは心が落ち着かないでしょう。 極端に危険な状態に陥ったそのとき、空からヘリが飛んできて縄ばしごが下りてきたとしましょう。もう安全ですね。ある程度、落ち着きます。⑧Paṭisaṅkhā-ñāṇa 省察智はこのような状態です。 だからといって、ヘリから縄ばしごが下りるだけで、問題は解決しません。自分がもう一度、周りを観察しなくてはいけません。もしかすると、ヘリに信号を送って、静止する場所を指示しなくてはいけないかもしれません。ヘリから縄ばしごが下りても、その場所が燃えているならば、自分がそこまで行くこともできません。ですから、山火事に囲まれた人が、ただヘリを見ただけで安心して落ち着くのは早いのです。 省察智とは、心が解脱に向いてから、また現状を観察することです。第一の智慧であったsammasana-ñāṇa 思惟智に似ていますが、そのレベルが違うのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p52】

 
 
 

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