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観智:⑨ 行捨智は平安な心 ⑴

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月29日
  • 読了時間: 1分

観智:⑨ 行捨智は平安な心 ⑴ 次に、saṅkhāra-upekkhā-ñāṇa 行捨智が生まれます。すべての行・ものごとについて、捨の気持ち、喜ぶこともなく嫌うこともなく、捨の、平安な気持ちが生まれてきます。 ヴィパッサナー実践をする人々は、七覚支を完成しなくてはいけないのです。また瞑想に必要な条件として、五力、四神足などなど、三十七菩提分法があるのです。それらは基本的な観察瞑想を続けると、徐々に成長していきます。 個人差もあります。必要な条件の成長は、バラバラです。最後に必要な条件をすべて完成して、うまく精神的にバランスを整えなくてはいけないのです。一般的に言えば、極力落ち着くことの訓練をするのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p53】

 
 
 

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捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくる 捏造する段階は、どうしようもありません。ネズミの死骸を見て、「ご馳走だ」と捏造することは、カラスにとって問題ではありません。しかし、人間がネズミの死骸を「ご馳走だ」と捏造したら困った結果になります。ですからかならず、捏造はその生命の都合に合わせて、自然に起こります。もし捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくったならば、それは仏教用語で「見解」と言い

 
 
 

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