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観智:⑨ 行捨智は平安な心 ⑵

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月30日
  • 読了時間: 1分

観智:⑨ 行捨智は平安な心 ⑵ ヴィパッサナー瞑想とは、かなり激しい実践方法です。落ち着いてできるものではないのです。必要な智慧が現れて、心が本格的に解脱へ向いてから、落ち着きの訓練になるのです。その落ち着きに達したら、saṅkhāra-upekkhā-ñāṇa 行捨智と言います。Saṅkhāra は行ですが、この場合は解脱に達するために必要とする条件(三十七菩提分法)のことです。Upekkhā とは、「捨」と訳しますが、この場合は善心所の力のバランスを平等に整えることを意味します。Ñāṇa は智慧です。 もう一度、山火事の話に戻りましょう。ヘリが来ました。自分は安全なところにヘリをガイドしました。縄ばしごも下りてきます。自分は身の安全を図ってしっかりとはしごを昇る準備をして、構えています。行捨智とは、そのような段階です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p53】

 
 
 

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