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観智:⑩ 随順する智

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月31日
  • 読了時間: 1分

観智:⑩ 随順する智 次に、anuloma-ñāṇa 随順智が生まれるのです。何に随順しているのでしょうか。解脱に随順するのです。 ヘリの喩えで理解できると思います。山火事に囲まれていたときは、恐怖のどん底でした。ヘリが見えたところで、期待が生まれてきました。落ち着きました。ヘリはよいところで静止して、縄ばしごも下りてきます。山火事に囲まれていた人の気持ちは、もう山火事のことに向いていないのです。ヘリに乗ること、安全な場所に行くことに向いています。興味は救出後の場所にあり、すでに山火事は全然怖くありません。実際は今も山火事に囲まれた状態です。しかし、完全に安心した気持ちでいますし、助かるという自信もあります。恐怖感はすべて消えているのです。 ヴィパッサナー実践をする修行者も、⑨行捨智で落ち着きを得て、⑩随順智で解脱に随順した安心感に達するのです。これも智慧と言います。なぜならば、心のレベルが変わったからです。そして次の瞬間に、解脱に達するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p53】

 
 
 

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