top of page
検索

観智:⑩ 随順する智

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月31日
  • 読了時間: 1分

観智:⑩ 随順する智 次に、anuloma-ñāṇa 随順智が生まれるのです。何に随順しているのでしょうか。解脱に随順するのです。 ヘリの喩えで理解できると思います。山火事に囲まれていたときは、恐怖のどん底でした。ヘリが見えたところで、期待が生まれてきました。落ち着きました。ヘリはよいところで静止して、縄ばしごも下りてきます。山火事に囲まれていた人の気持ちは、もう山火事のことに向いていないのです。ヘリに乗ること、安全な場所に行くことに向いています。興味は救出後の場所にあり、すでに山火事は全然怖くありません。実際は今も山火事に囲まれた状態です。しかし、完全に安心した気持ちでいますし、助かるという自信もあります。恐怖感はすべて消えているのです。 ヴィパッサナー実践をする修行者も、⑨行捨智で落ち着きを得て、⑩随順智で解脱に随順した安心感に達するのです。これも智慧と言います。なぜならば、心のレベルが変わったからです。そして次の瞬間に、解脱に達するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p53】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page