top of page
検索

解脱に不可欠な戒律

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月9日
  • 読了時間: 2分

解脱に不可欠な戒律 戒律とは、何かの宗教を信仰する場合に守らなくてはいけない規則であると一般的に知られています。仏教は解脱を目指す教えです。その目的に達するために欠かせない基本的な規則が、仏教の戒律なのです。解脱は、心の成長と智慧の開発によって現れるものです。ですから、仏教の戒律は心理学的な規則であると言っても過言ではありません。戒律を守ることによって、人格向上を目指すのです。 普通の生命は誰でも、感情の衝動で生きています。感情の大本は、無知と渇愛です。貪瞋痴という三つに分けることもありますし、千五百の煩悩だと言うときもあります。この煩悩が、我々を支配し管理しています。煩悩の種類によって、考えたり話したり行為をしたりするのです。ですから、気分次第で生きるのは危険です。何の成長も見込めません。感情に支配されると、理性がはたらかないのです。欲・怒り・嫉妬などの感情が湧いてきたら、人は何の躊躇もなく悪行為をします。悪を犯している人々も、ある程度、知識人です。世間の常識を知っています。しかし、感情に負けるのです。優れた知識人であっても、感情には勝てません。湧き上がった感情は、考えることや他人に説得されることで収まるものではありません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p61】

 
 
 

最新記事

すべて表示
自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる

自我は存在しないという発見の次に涅槃を経験したのだと分かる  それから、今現在の心を観察します。何を発見して心が涅槃に入ってしまったのか、観察します。すると、自我は存在しない、成り立たない、因縁によって一時的に起こる現象に対しての勘違いに過ぎない、という発見の次に、涅槃を経験したのだと分かるのです。要するに、「有身見」が消えたのです。修行者は、仏道が正しい道であると経験しています。ですから「疑」も

 
 
 
涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する

涅槃とはこの瞬間前に起きた経験であると観察する  テキストでは、magga 道、phala 果、nibbāna 涅槃、根絶した煩悩、残りの煩悩を観察するのだと説明しています。この順番で観察する必要がある、というわけではありません。修行者は自分が気になる順番で観察すると思います。悟りの経験は並外れた大胆な経験です。そのときは、心さえも存在しなかったのです。修行者は、認識の流れが戻ったら、まずそれを観

 
 
 
強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する

強烈な集中力でほんの瞬間前に何が起きたのか観察する  果心が起きてから、心は有分心になります。それから普通の認識過程に戻ります。普通の認識過程といっても、五根から情報を得て混乱している心のレベルではありません。強烈な集中力で、観察能力がついている心です。その能力を活かして、観察します。ほんの瞬間前に何が起きたのか、観察するのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サ

 
 
 

コメント


bottom of page