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解脱の説明は、間接的

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月2日
  • 読了時間: 1分

解脱の説明は、間接的 お釈迦様が説かれた解脱の説明は、間接的です。例えば、“一切の苦しみを乗り越えた境地”、“生死を乗り越えた境地”、“超越した境地”、“不死なる境地”などと説明されています。また、否定形の形容詞で語られた言葉もたくさんあります。“不貪不瞋不痴の境地”、“輪廻転生しない境地”、“再び生まれない境地”、“不生不死の境地”などです。否定形の形容詞は、解脱について、分かったような分からないような気にさせます。なぜならば、そこで否定されている無常・苦・生・死・貪瞋痴・煩悩などは一般常識で理解できるからです。それらの否定なので、分かったような分からないような気がするのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p55】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

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広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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