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詳細な威儀の観察

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月22日
  • 読了時間: 1分

詳細な威儀の観察 身体の動きは行住坐臥ですが、それ以外の細かい動きもあります。身体を傾けたり、回ったり、振ったりもするのです。かがんで物を取ったり置いたりします。手を動かして料理の材料を切ったり洗ったり、手を上げたり下げたり、引き出しを引いて開けたり押して閉めたりします。このような細かい動きをするときも、それぞれの動きに気づくのです。確認しておくのです。それがyathā yathā vā panassa kāyo paṇihito hoti の意味です。ということは、身体の動きを確認する修行をしようと思う修行者は、朝目が醒めたときから夜眠りに入るまで、絶え間なく修行できます。微塵も苦行になりませんが、大変な修行量になります。ですから、間もないうちに結果が現れる修行なのです。「いま・ここで結果が出ます」というのは、仏教の宣伝文句です。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p74】

 
 
 

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