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身体の仕事に気づいておく

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月9日
  • 読了時間: 1分

身体の仕事に気づいておく Dīghaṃvā assasanto ‘dīghaṃ assasāmī’ti pajānāti, dīghaṃ vā passasanto ‘dīghaṃ passasāmī’ti pajānāti,長く入息するときは〈私は長く入息する〉と知ります。あるいは、長く出息するときは〈私は長く出息する〉と知ります。 Rassaṃ vā assasanto ‘rassaṃ assasāmī’ti pajānāti, rassaṃ vā passasanto ‘rassaṃ passasāmī’ti pajānāti,また、短く入息するときは〈私は短く入息する〉と知ります。あるいは、短く出息するときは〈私は短く出息する〉と知ります。 外に空気があるからと言って、勝手に肺には入らないのです。身体の感覚が大事なはたらきをして、空気が入るように、出るように、しているのです。瞑想する人は、この身体が行なっている仕事に気づいておくのです。呼吸瞑想は簡単に説明されていますね。そう思われても、私たちは色々な概念を取り入れて、この瞑想をややこしく複雑なものにしてはなりません。大念処経はヴィパッサナー瞑想を紹介して解脱に達する方法を教えるところです。呼吸瞑想に特別に配慮する必要はないのです。しかし、呼吸瞑想自体はとても大事な瞑想であると、中部経典一一八番の『Ānāpānasatisutta 安般念経』で説明されてあります。その経典でも、呼吸のやり方を説明するのではなく、基本的に呼吸に気づいてから、徐々に智慧を開発して、解脱に達する方法へと指導しているのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.59】

 
 
 

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