top of page
検索

身体の前面

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月6日
  • 読了時間: 1分

身体の前面 呼吸は身体の前面に起こるはたらきです。ですから身体全体の前面を感じて、呼吸の観察を始めるのです。鼻の先に集中することになると、サマーディの呼吸瞑想になります。たいした違いはないでしょう、と思われるかもしれません。しかし、とてつもない違いなのです。前面に集中して観察をすると、瞑想は自動的に受の随観に進みます。呼吸瞑想の場合は、集中力だけ高くなっていくのです。そのときは色々新たな経験が起こりますが、ヴィパッサナーの方向へは行けません。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.58】

 
 
 

最新記事

すべて表示
用語の意味を知っている

用語の意味を知っている 三相は、現象の世界に関する真理です。涅槃は、現象の次元を乗り越えた境地の真理です。現象の世界に関する真理に、無常・苦・無我という三つの言葉のラベルを貼っているのです。 言葉に引っかかってはいけません。言葉の意味を知ったからといって、真理を知ったことに...

 
 
 
真理は一つですか?

真理は一つですか? 世の中で「真理は一つだ。二つは成り立たないのだ」という考えがあります。これは、ただ言葉として言っているだけのもので、真理を発見し、まじめに責任を持って発表している言葉ではありません。「それでも真理は一つでしょう」という考えは皆、持っています。ヒンドゥ教の...

 
 
 
ヴィパッサナー瞑想の対象

サマタ瞑想とは、精神的に向上することです。ヴィパッサナー瞑想は、清浄visuddhi に達することです。精神的に向上した人の心もある程度は清らかですが、汚れる恐れがあります。清浄に達する人々の心は、当然、精神的にも向上しています。清浄の七段階を紹介してから、アビダンマ・テキ...

 
 
 

コメント


bottom of page