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身体を落ち着けて呼吸をはっきり理解する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月14日
  • 読了時間: 1分

身体を落ち着けて呼吸をはっきり理解する 呼吸の観察によって身体全体を感じる能力が充分に育ったところで、次のステージがあります。 Passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ assasissāmī’ti sikkhati, ‘passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ passasissāmī’ti sikkhati.〈私は身行を静めつつ入息しよう〉と学び、〈私は身行を静めつつ出息しよう〉と学びます。 身体の動きと身体を動かしているエネルギーという両方をまとめて、kāyasaṅkhāraṃ・身行と言うのです。お腹は意図的に行なう動きと、意思と関係なく起こる動きという二つがあり、この両方の身体の動きは、結局は心のはたらきによって起きているのです。そこで、その心が呼吸の動きだけに集中し始めると、身体の他の部分を動かすために身体中に散らばって働いていたエネルギーが、呼吸に集中してしまうのです。呼吸以外、身体の他の動きは徐々に落ち着いて、なくなっていくのです。これが「身行を静めつつ」という言葉の意味です。呼吸観察を始めても、すぐ皆にこの経験が起こるわけではないと思います。呼吸に集中していると、心臓の鼓動が気になったり、手足、胸などの動きが気になったりします。そのときは、うまく呼吸の観察ができなくなります。それでも呼吸の感覚に集中し続けるのです。集中力が向上していくと、身体の他の動きは静まっていくのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016、p.64】

 
 
 

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