逆さまに観ることが「正しく観る」こと
- sapporobukkyoujuku
- 6月29日
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逆さまに観ることが「正しく観る」こと これは不浄観というものではなく、まさに「厭逆観察」なのです。この漢字は「逆に観る」ということで、不浄観と書くよりはきちんと意味が通っています。逆さまにして観ることは、本当は「正しく観る」ことなのです。正しく観るとこんなものだ、ということです。 人間の変てこなものの見方からすれば「厭逆観」になりますが、別に仏教の人々がものごとを変に逆さまにして観ているわけではないのです。 人間に皮膚がないと誰が言えるでしょうか? 心臓がないと誰が言えるでしょうか? 大便小便がないと誰が言えるでしょうか? 本当は、三十一種類に分ける観察こそが正しいものの見方(観方)なのです。全ての生命はそんなものだ、と智慧で観ることで、適度の智慧が生まれてきます。適度の気づきが生まれてきます。もう、とらわれることなく生活ができます。世のなかで何一つも執着することはなくなってしまいます。以上のようなやり方でも、身体の瞑想ができるのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p100】
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