違う「正理(ñāya)」
ヒンドゥー教ならば、全く違う「正理(ñāya)」を主張するでしょう。科学者も違う「正理(ñāya)」を考えているでしょう。「私は何ものなのか?」という問いに、科学者は物質だけを見て答えを出します。物質を色々組み立てたところで生命のもとになるようなアミノ酸ができた、と推測するのです。そこでいまも生き続けている原始的な生命体を観察して、その生命体からどのようにいまの複雑で多様な生命体が現れたかというストーリーを組み立てて語っている。つまり、アミノ酸と遺伝の物語が科学者の「正理(ñāya)」になっているのです。
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