適度の気づきが確立する
- sapporobukkyoujuku
- 6月11日
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適度の気づきが確立する それから一般的な行為としてまっすぐに歩く、あるいは前に歩く、さがる、まっすぐに見る、首を回して周りを見る、そういったことを正知(承知)して観て、そのときそのときの感覚を一般論として捉えてみる。それから、その生滅です。このように現れる、このように消える、というその機能を見たところで「あ、そんなもんか」という、身体とはそんなもんだよ、というsati(気づき)が生まれてきます。そこで、「適度の智慧ñāṇamattāya」が生まれてきます。「適度の気づきが確立するpaṭissatimattāya」のです。「適度の」という形容詞は、お釈迦様があえて使用されている言葉です。それは、実践者の経験に適した量、という意味で理解することになります。この智慧と気づきが現れれば、もう、とらわれることなく生活ができます。世のなかに何一つも執着することはなくなってしまいます。以上のようなやり方は、kāyānupassanā 身随観という瞑想なのです。この「正知の部」は大変幅広いセクションです。やりにくいかもしれませんから、まずは呼吸瞑想で実践してみるとか、歩く瞑想で実践してみるとか、一つの対象を選んで実践してみることです。それから、徐々に全ての行動に対象を広げて実践する、という順番で実践すれば良いと思います。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p86】
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