top of page
検索

随念と随観

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年9月17日
  • 読了時間: 1分

随念と随観 随念と随観というのは、二つの瞑想のやり方です。何か決まっている言葉を念じながら、一つの対象に集中してみることが随念anussatiです。サマタ瞑想の仕方です。また、決まっている言葉はなく、その都度その都度、現れる現象に気づいて、適切な言葉をかけて集中することが随観anupassanā です。それはヴィパッサナー瞑想の仕方です。例えば、サマタの呼吸瞑想の場合は、「吸ってます、吐いてます」という言葉を一貫して念じます。ヴィパッサナーの呼吸瞑想の場合は、「吸ってます、吐いてます」か、「膨らんでいる、縮んでいる」か、どちらでもよいです。また、修行する最中にどこかが痛くなったら、それを「痛み」と確認する。寒くなったら「寒気」と確認する。かならず呼吸に集中しなさい、ということではありません。これが、サマタとヴィパッサナーの大きな差です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p31】

 
 
 

最新記事

すべて表示
六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa  自分がいる状況は確実に危険であると分かれば、そこから脱出したくなります。自分の寝ている部屋が火事になってごうごうと炎が上がっていると発見したら、心は瞬時に脱出したいと思います。「きれいな部屋だったのに」「気に入っていたのに」「模様替えしたばかりだったのに」云々とは考えません。この喩えのように、修行者は一切の現象から脱出するべ

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa  一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 
 
 
一切のものごとの短所を発見する

一切のものごとの短所を発見する  ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発

 
 
 

コメント


bottom of page