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集中力と智慧の関係

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月4日
  • 読了時間: 1分

集中力と智慧の関係 集中するだけで智慧は生まれません。貪瞋痴の感情をかき回すものにも簡単に集中できます。映画・音楽などに夢中になるためには、何の訓練も要りません。好きなことをやり続けるためには、特別な訓練も修行も要りません。何かに夢中になるとは、いたって簡単にできることです。夢中になることは一種の集中力でもあり、それによって当然、楽しみも生まれるのです。しかし、智慧が現れて理性の人間にならないでしょう。頭が良い人間にならないでしょう。悪い性格が改良されて人格完成者にならないでしょう。ですから、集中力だけで智慧が現れるとは言えないのです。言えるのは、集中力がないと智慧もない、ということです。正しい方法で集中力を育てて、同時に智慧も起こるように気を付けなくてはいけないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p82】

 
 
 

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