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順を追って心は変わる 1:普通の認識(ものは存在する)

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月12日
  • 読了時間: 1分

順を追って心は変わる 1:普通の認識(ものは存在する)  我々の普通の認識、要するに常識というものは、ものは存在する、ものが「有る」、という前提で起こるものです。音が有るから、聴こえる。花が有るから、見える。絶えず認識が起きているので、絶えずものごとが存在するという前提も強くなっていくのです。「無い」ということは認識できません。無いとは、頭で合成する概念の組み合わせです。経験ではありません。「机の上に花は有りません」という文章を分析してみましょう。実は、「机の上に無い花」を認識することは不可能です。まず、「机の上」を認識する。それは有ります。それから、過去の経験を引き出します。花を飾っていた机か何かを思い出します。それらを認識したときは、それが有ったのです。今、頭の中に「有る」という概念が二つあります。① 机が有る。② 花を飾った机を思い出した、その思いが今有る。それから引き算して、「机の上に花が無い」という新しい概念をつくるのです。別に花が「無い」ということを経験したわけでも、認識したわけでもないのです。「有る」「有った」という二つの概念を組み合わせたのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p44】

 
 
 

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