top of page
検索

順を追って心は変わる 1:普通の認識(ものは存在する)

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月12日
  • 読了時間: 1分

順を追って心は変わる 1:普通の認識(ものは存在する)  我々の普通の認識、要するに常識というものは、ものは存在する、ものが「有る」、という前提で起こるものです。音が有るから、聴こえる。花が有るから、見える。絶えず認識が起きているので、絶えずものごとが存在するという前提も強くなっていくのです。「無い」ということは認識できません。無いとは、頭で合成する概念の組み合わせです。経験ではありません。「机の上に花は有りません」という文章を分析してみましょう。実は、「机の上に無い花」を認識することは不可能です。まず、「机の上」を認識する。それは有ります。それから、過去の経験を引き出します。花を飾っていた机か何かを思い出します。それらを認識したときは、それが有ったのです。今、頭の中に「有る」という概念が二つあります。① 机が有る。② 花を飾った机を思い出した、その思いが今有る。それから引き算して、「机の上に花が無い」という新しい概念をつくるのです。別に花が「無い」ということを経験したわけでも、認識したわけでもないのです。「有る」「有った」という二つの概念を組み合わせたのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p44】

 
 
 

最新記事

すべて表示
六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa  自分がいる状況は確実に危険であると分かれば、そこから脱出したくなります。自分の寝ている部屋が火事になってごうごうと炎が上がっていると発見したら、心は瞬時に脱出したいと思います。「きれいな部屋だったのに」「気に入っていたのに」「模様替えしたばかりだったのに」云々とは考えません。この喩えのように、修行者は一切の現象から脱出するべ

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa  一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 
 
 
一切のものごとの短所を発見する

一切のものごとの短所を発見する  ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発

 
 
 

コメント


bottom of page