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食べものの種類

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年6月25日
  • 読了時間: 1分

食べものの種類 食べものはどれぐらいの種類に分けられるでしょうか。考えたこともないでしょう。三種類なのです。動物(肉・魚)、植物(野菜・穀物)、それから乳製品。人間が食べるのはその三種類。智慧の立場から見れば、それぐらいに分けてみればいいことなのです。そこで幻覚を破りたければ、「これはすごい御馳走だ」と言うだけではなくて、これはどのような大便になるかと、観察しなくてはいけない。結局、大便になってしまいますから。だから食べ物は便をつくるための材料なのです。べつに科学的な説明なんかいらないのです。ただ単に「どんな材料で便をつくるか」ということです。それを見たら、三種類に分けられるから、たいしたことはない。 幻覚を破ることで、「あ、そんなもんか」と全てがほんの小さなものになる。小さくなることがポイントなのです。それで何もかも分かってしまう。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p97】

 
 
 

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