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札幌仏教塾
気持ちいい
我々は、「楽しい」とか「気持ちいい」とか言いますが、この「気持ちいい」ということ自体も痛みなのです。例えばマッサージしてもらうと気持ちいいと感じるでしょう。もともと痛みがあったならば、マッサージを受けて、「ああ気持ちいい」と言うのです。でも本当は、マッサージ自体が痛みなので...
sapporobukkyoujuku
2025年4月12日読了時間: 1分
「痛み」の正体/「痛み」が正体
基本的に、細胞というのは痛みで生きているのです。皆、痛みは消えてほしい、消えてほしいと思うのですけど「それならば死んでください」としか言えません。痛みは消えないのです。なぜならば細胞というのは痛みで生きているので、他の感覚はないからです。楽しい感覚、快楽の感覚は細胞にはない...
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2025年4月11日読了時間: 1分
心の明るさは消えません
次のatthaṅgamāyaは「なくす、消える」という意味なのです。だからと言って、「覚った人をぶん殴っても痛くない」ということではありません。身体の痛みはありますが、ただ身体の痛みだけで、精神的には痛みは全くない。愁いと悲泣の場合は乗り越えるのです。外のことですから、それ...
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2025年4月10日読了時間: 1分
気づきの実践によって乗り越える
sokapariddava は外に起きる出来事で、dukkhadomanassa というのは自分に起きる出来事で、どちらにしても人間は大変苦しみを味わってしまうのです。良いものではないのです。そういうものによって、人間の幸せ、やすらぎ、心の安定というのは壊れてしまうのです。...
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2025年4月9日読了時間: 1分
苦しみと憂いが消える
次に「dukkhadomanassānam atthaṅgamāya 苦しみと憂いが消える」。Dukkha とは身体で感じる普通の苦しみです。Domanassa は心で感じる悲しみ。分析しようとすれば、いくらでも分析できます。先ほどのsokapariddava...
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2025年4月8日読了時間: 1分
愁いと悲泣が心に生まれない
地震が起きたらsati を実践する人と、実践しない人には差があるのだということは事実です。実践しなかった人はひどい愁いと悲泣に陥ってもう立ち上がれなくなってしまう。しかし、satiを実践している人は、別に何のこともなく、そのときそのときのやるべきことをやってずうっと生きてい...
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2025年4月7日読了時間: 1分
愁いと悲泣を乗り越える
愁いと悲泣を乗り越える 〔目的の〕二番目は、「sokaparidevanaṃ samatikkamāya 愁いと悲泣を乗り越えるために」です。この瞑想をすれば愁いも悲泣も乗り越えられる。しかし、奇跡が起こるということではありません。『Mahāsatipaṭṭhānasutt...
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2025年4月6日読了時間: 1分
心の清らかさ
道を歩むのであれば、その道を歩んでどこへ行くのか、という目的が必要なのです。それが「sattānaṃ visuddhiyă 衆生が清浄になるために」です。この一つの道は、清浄の境地に至るための道なのです。ブッダゴーサ長老が、テーラワーダ仏教の瞑想方法を全てまとめた著書も「清...
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2025年4月5日読了時間: 1分
まぁどこからでもいいから
誰かが虫垂炎に罹って手術を受けようとしている。主任の医者が自分の弟子に手術を任せたとします。先生は弟子に向かって、「まぁどこからでもいいから切ってよ」とは言わないでしょう。きちんとメスを入れる場所を決めてあって、そこをまた何cm切るかと厳密に決めてある。「どこから切っても...
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2025年4月4日読了時間: 1分
一つの道
仏弟子たちがよく勉強して教えを理解したところで、我々が苦しみをなくして涅槃に至るためにどうすれば良いかと問えば、「一つの道」しか答えがないのです。『Mahāsatipaṭṭhānasutta 大念処経』と他の経典は、その点で違います。この経典は仏教をよく知って理解した人に向...
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2025年4月3日読了時間: 1分
不変性を表現している
「A があるときB が生まれる」と言うとA とB の間には必然的な関係が生まれている。ですからA があるときB があるのであって、A があるときたまたまB があるというわけではないのです。或いは「ほとんどA があるときB...
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2025年4月2日読了時間: 1分
必然的な関係
お釈迦様は人間が生きていること、存在そのものについて研究して、システムを発見して、それをしゃべっているのです。それがたまたま厳密に論理的になっただけです。世のなかにあることだから、それは当たり前のことです。お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B...
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2025年4月1日読了時間: 1分
理の如くに意識をはたらかす
yoniso-manasikāra (ヨーニソー マナシカーラ)という言葉がありまして、漢訳仏教語では「如理作意」となっています。理とは「ものの理」のことです。その「理の如く」に「意識(意)をはたらかす(作す)」ということなのです。いいかげんに自分の感情、感覚で、自分の好き...
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2025年3月31日読了時間: 1分
ありのままに見る
正しい観察の仕方という意味で、パーリ語でいつでも使うのはyathābhūtaṃ passati(ヤターブータン パッサティ)「如実に見る」という言葉です。日本語で人気のある“ありのままに見る”という言葉はその訳です。日本語では一般的な言葉になっていますが、その意味は全然分か...
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2025年3月30日読了時間: 1分
一つの方法しかない
人の意見に対して柔軟な態度をとっても構いませんが、実践になると曖昧な方法ではいけないのです。あのやり方でもこのやり方でも良いのではないかと言われると、どうすれば良いのか分からなくなるのです。ですから、心を清らかにするならば、悩み苦しみをなくすならば、一つの方法しかないと決定...
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2025年3月29日読了時間: 1分
認識に至った過程
お釈迦様は他宗教の方々の考えについて一方的に批判することを止めて、その認識に至った過程が正しいか否かを調べるのです。要するに、お釈迦様は認識論(epistemology)を大事にしたのです。他人の意見に対しては、その意見に達した方法が客観的で事実に基づいているか否かを調べて...
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2025年3月28日読了時間: 1分
同じ真理を発見する
〔お釈迦様は〕「私が言っていることが嘘だと思うならば、嘘だと証明してみなさい」というふうに語ります。教えへのアプローチをオープンにしておくのです。なぜかというと、ブッダの教えは真理だから、誰がどのように研究してみても真理を発見する人は同じ真理を発見するはずなのです。【アルボ...
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2025年3月27日読了時間: 1分
品格
初期仏教の経典では、あとから勝手に編集できないように、厳密に真理を語っていますが、「これしかないよ」とわざわざ言う必要もないのです。お釈迦様は品格を大切にしていましたから、「私こそ真実を語っているんだぞ、他の人の説く真実を聞くな」というような言葉はないのです。【アルボムッレ...
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2025年3月26日読了時間: 1分
大念処経
大念処経は一般の人々もかなり暗記しています。長いけれど暗記しているのです。私も子供のころお寺へ行ったとき、在家信者さんたちは、修行に来たら、夜ゆっくりと朝まで暗記して唱えていたのです。さすがにいまの人々は憶えてないみたいですが。私がスリランカにいた三十五年ぐらい前までは、お...
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2025年3月25日読了時間: 1分
生きるという衝動
人々には、様々な性格、様々な能力、様々な好き嫌いがあるものです。完全に同一の生命は存在しません。しかし、生きるという衝動はみな同じです。生き方がそれぞれ変わっているだけです。お釈迦様の教えは、全ての生命に適用できるように普遍的な立場で語られているのです。いかなる人間にも、自...
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2025年3月24日読了時間: 1分
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