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札幌仏教塾
009 幸福の鍵は道徳
「道徳」とは正しい生き方であり、幸福の道です。道徳的な生き方をしていれば、心の病気がどんどん治っていきます。人生の選択はことごとく的中し、自分も周囲もどんどん幸になって、人生が成功します。人間は「幸福になりたい」ために生きているのが真理ですから、「道徳」を守って幸福になるこ...
sapporobukkyoujuku
2023年11月9日読了時間: 1分
008 共有から幸福が生まれる
たとえばビデオをレンタルして一人で見るよりは、二人でわいわいと見たほうが楽しいでしょう? たとえ自分がレンタル料を払っていても、友達と見ればレンタル料以上の楽しみを得ているはずです。本当の楽しみは共有することで生まれます。いわゆる「布施」の精神です。幸福はそこから生まれます...
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2023年11月8日読了時間: 1分
0007 なんでも笑いの原因
私は、病気にもなります。そのとき「どうして私が病気になったのだろう」とか「もっといい、魔法のような治療法はないのか」とか「病気なのに、十分に治療する時間もないのか」とか「専門医は予約しても三ヶ月とか半年も診てくれるまでに時間がかかって、どういうことだ」などと思うとしたら、そ...
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2023年11月7日読了時間: 1分
006 人生は障害を乗り越えることの連続
たとえば、小さな子供が初めて幼稚園に行くことも、その子供にとってはあらゆる障害を乗り越えることなので、結構きついものです。でも、これに負けて「ぜんぜんうまくいかない。友達とも仲良くできない」などと泣きながら家に戻ってしまっては、まるで話にならないでしょう?...
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2023年11月6日読了時間: 1分
005 不幸になるのも自由
人の幸福・不幸は、その人の自由意志によって定めるものです。私たちには「幸福になる自由」も「不幸になる自由」もあるのです。無智でない限り不幸になろうと思っている人はいないのですから、意志をどのように管理すれば幸福になるのかを理解したほうが得です。幸福にはなりたいが、意に反して...
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2023年11月5日読了時間: 1分
004 幸福を求めて不幸になる
無智な生命は、刺激を受けることは楽しい、幸福なことだと勘違いをして刺激を追い求めます。けれども、刺激が欲しいというのは、わがままです。刺激が欲しければ、刺激をくれる六つの器官、眼・耳・鼻・舌・身・意に頼らなくてはいけません。刺激を受けるために、見るもの、聞くもの、食べるもの...
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2023年11月4日読了時間: 1分
003 善行為と悪行為の基準
すべての生命は苦しみを嫌い、幸福を求めます。それが生命の、生きる衝動になっているのです。したがって、自分が苦になる生き方は悪であり、自分が幸福になる生き方は善です。自分の生き方が苦になる、堕落する生き方は、悪行為です。ですから学校をサボることも、仕事をサボることも悪行為です...
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2023年11月3日読了時間: 1分
002 最高の幸福とは
究極の幸福の定義とは、「終わりなき生きる戦いに終止符を打つこと、生きる苦しみがなくなることが最高の幸福である」ということです。生きることは、戦いです。それも終わりのない戦いです。その戦いの終了宣言ができたならば、「よくやった」という気分になります。それが究極的な幸福なのです...
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2023年11月2日読了時間: 1分
001 幸福感は、楽や辛さでは量れない
「幸福」とは何でしょうか? 第一に、「不満がないこと」が幸福だと言えます。ご飯を食べてもあまり満足できないのであれば、幸福だとはいえませんね。満足できれば幸福を感じるでしょう。それは、おにぎりを食べることが幸福なのか、ウナギを食べることが幸福なのかという比較の問題ではありま...
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2023年11月1日読了時間: 1分
307 亡くなるときは赤子のように
お母さんが赤ちゃんをあやすでしょう。赤ちゃんの顔を見て、自分の顔を手で隠して「いないいないばあ」とやっただけで、赤ちゃんはおもしろそうに笑いますね。いない、ということは怖いはずなのに、赤ちゃんは屈託なく笑い転げます。まさに天真爛漫という言葉がぴったり合うような赤ちゃんのあの...
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2023年10月31日読了時間: 2分
306 長生祝福できるのは仏教だけ
理性で考えれば、天国を創った人々は早く死んだほうがいいのに、なぜ、一分、一秒でもこの世に長くいたいと思うのでしょうか? それは、「死後は永遠なり」という保証がまったくないからです。しかし、仏教は、一分一秒でも長生きしなさいと明言できます。なぜでしょうか。徳を積むこと、善行為...
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2023年10月30日読了時間: 2分
305 死に対する悲しみは「エゴ」の表れ
我々が悲しいと思うのは、自分と関係がある人の死です。関係のない人の死に対しては無関心です。ですから、「死者を弔っているから、自分はよくできた人だ」と単純に考えることはできません。もし本当に「死は悲しいことだ」と思うのなら、一切の生命の死を悲しまなくてはならないはずです。しか...
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2023年10月29日読了時間: 2分
304 死ぬのは誰のせいでもないから
我々はずっとみんなに支えられて生きていますが、自分の肉体はみんながいくら助けてくれても壊れます。みんなのせいではなくて、自分が壊れるのです。お医者さんを千人集めても、家族や親戚がみんなそろっても、どうにもなりません。ですからそのときは、何の憎しみも恨みも持ってはいけません。...
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2023年10月28日読了時間: 1分
303 死という概念を頭に入れる
死というのは一番念頭に入れておかなければならない概念です。けっして避けるべきものじゃないんです。生命は瞬間瞬間にも死んでいきます。この一秒は二度と戻りません。だから、「捨てる能力」ですね、大事なのは。つかまってしまうと苦しい。なぜかといえば、つかまろうとしてもつかまれないん...
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2023年10月27日読了時間: 1分
302 常に自分が死んでいくことを観察する
我々が頭でっかちに考えている「死」は、最終的に肉体の活動を終了することです。しかし、常に自分が死んでいくということは、頑張ってみれば、ほんのちょっとの努力で体験できます。お釈迦様は瞑想という方法を教えています。それは「ありのままに観てください」ということです。ありのままに観...
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2023年10月26日読了時間: 1分
301 死随念で慈しみと理性が現れる
葬式を行なったとしましょう。遺体を見て、「この人は亡くなって死体になっている。私も確実にこのようになる。私にも死が訪れる」と念じます。このように他人の死を観て、自分の死に入れ替えてみることが死随念です。徐々に、自分の死も現実的に感じられるようになります。「私は死なないのだ」...
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2023年10月25日読了時間: 1分
300 死を念じることが、心の開発につながる
人は死を認めません。「私は死なない」という前提で、自分の人生設計をするのです。間違った前提の上に成り立つ計画は、崩れるに決まっています。人々は「幸福になりたい」と計画します。それが悩み苦しみという結果に終わるのです。この問題を解決しなくてはいけないのです。やり方は一つです。...
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2023年10月24日読了時間: 1分
299 死にそうになってからでは遅い
死にそうになって初めて、みんな死について興味を持ったりしますが、それでは遅いのです。大学に入りたいと思ったのが試験の前日なら、勉強するぞと思っても駄目でしょう?人生はそれもっと厳しいのですから、我々はずっと人生や生き方というものを勉...
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2023年10月23日読了時間: 1分
298 死ぬときに悔いなしと思える人生を
生まれてから死ぬまでのあいだ、うまくずっと面白いことをやって生きることができれば、死ぬとき、悔しくありません。死ぬときに、「ああ、けっこうやりたいことをやって生きたなあ」「もう思い残すことはない」「大丈夫だ」と、そういうふうに思えれば、死ぬときに「悔しい」とは思わないでしょ...
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2023年10月22日読了時間: 1分
297 死を悲しむのは格好が悪い
自分の子供、親が亡くなったと悲しむとき、「自分は相変わらず元気だ」という前提があるのです。自分はぴくりともしない川岸にいて、流される木の葉を哀れむような傲慢さです。しかし、そんな保証がどこにあるのでしょうか? 人間なんて、いつ死んでも不思議はありませんよ。だから、人が死んだ...
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2023年10月21日読了時間: 1分
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