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札幌仏教塾
心清浄とはサマーディのこと
心清浄とはサマーディのこと サマーディは八種類(アビダンマの分類では九種類)です。どんなサマーディに達するにしても、決まって二つのステップをたどります。1 upacāra-samādhi 近行定 サマーディ瞑想をすると、心がサマーディに完全に似た状態に達します。2 appanā-samādhi 安止定 心がサマーディ状態に達します。 近行定の場合は、修行者が瞑想中であるならば問題ありませんが、瞑想を中断するとその状態もなくなる可能性があります。不安定です。近行定から安止定に達したならば、本格的なサマーディです。その精神状態は、瞑想を中断しても壊れません。しかし気をつけて生活しないと、睡眠状態になった煩悩が目醒めてしまう可能性があります。煩悩が目醒めたら、サマーディ状態が壊れます。そうなると、また初めからやり直しです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p72】
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2025年11月29日読了時間: 1分
戒清浄の完成
戒清浄の完成 戒清浄の場合、在家の方々は五戒、八戒、十戒などを学べば充分です。出家は四種類の戒律を守ります。出家・在家を問わず、戒律を守る目的を理解しなくてはいけません。戒律を守ったからといって、煩悩の根絶はできません。しかし戒律を守らない、道徳を重んじない生活をするならば、我々の生き方は獣の生き方と何の違いもないのです。煩悩の反乱を抑えるために、戒律を守ります。心清らかに保つために、冷静に生活することができるように、戒律を守るのです。時たま牙を剥こうとする煩悩を、その都度その都度、邪魔して抑えるために、戒律を守るのです。 心に煩悩が根づいているので、持戒は初心者には楽ではありません。しかし実践してみると、心が落ち着いてきます。道徳を守ることが自分の自然な生き方になるのです。そうして心が穏やかになったならば、戒清浄は完了です。 解脱に達するまでは、人間は不完全です。いくら注意して生きていても、過ちが起きます。ですから修行者は、日夜「懺悔」をするのです。その日に過ちを犯しても犯さなくても、どうでもよいのです。不注意で何か間違ったことをやった可能性も
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2025年11月28日読了時間: 2分
競争の激しいこの世界で気楽に生きる
競争の激しいこの世界で気楽に生きる 食べるものや着るものなどは、いとも簡単に煩悩を刺激します。ちょっとした不注意で、寝ている煩悩が牙を剥いて暴走してしまいます。ですから、資具を使うたびに、釈尊の説かれた最低基準に基づいたフレーズを心の中で念じるのです。 この戒律は、在家には関係ありません。出家が念じる経典文句を唱える必要はありません。しかし理解しておけば、毎日の生活のストレスがなくなると思います。在家生活としての基準を超えて余計なことをやっているのだと理解していけば、競争の激しいこの世界で気楽に生きることができると思います。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p71】
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2025年11月27日読了時間: 1分
衣・食・住・薬を必要とする意味を理解する
衣・食・住・薬を必要とする意味を理解する 俗世間は、「生きていきたい」という生存欲の衝動でまわっています。出家はこの罠にはまってはなりません。出家は、生きていきたいという生存欲を断って、解脱を目指します。ですから、決して満たせない欲を満たそうとする愚かな努力をいい加減にやめるのです。その方法はいたって簡単です。資具に対して、最低の基準を心に徹底的にインプットするのです。そして、最低の基準を理解するだけではなく、衣・食・住・薬を必要とする意味も理解します。 例えば、出家が食事をする目的を念じます。出家が皆、暗記する経典文句があります。「体力をつけるためではない。食欲にふけるためではない。美しくなるためではない。ただ、この肉体を維持するためです。空腹という苦しみを和らげるためです。修行の助けにするためです」。衣を着るときも、衣を着るたびに念じるべき経典文句があります。「寒さ暑さを避けるために、蚊・虫・蛇・風・陽射しなどに触れることを避けるために、恥ずかしいところを隠すために、この衣を着ます」。椅子、ベッド、住むところ等を使用するときに念じるフレー
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2025年11月26日読了時間: 2分
出家戒律④ paccaya-sannissita-sīla「資具に依止するという戒」
出家戒律④ paccaya-sannissita-sīla「資具に依止するという戒」 四番目はpaccaya-sannissita-sīla です。「資具に依止するという戒」と訳されていますが、「資具に関する戒」と理解しておきましょう。資具とは衣・食・住・薬のことです。在家・出家を問わず、命を繋ぐために欠かせない四つです。俗世間では資具を得る行為が暴走しています。食文化は把握できないほど広いです。服やアクセサリーについても同じことです。住居も派手な建築文化になるまで暴走しています。また、医療の発展にしても、専門家にも追いつけないほど暴走しています。その理由は、「欲は満たせない」ことです。皆、欲を満たそうとしているのです。しかしそれは、喉が渇いたら塩水を飲むような行為です。飲めば飲むほど渇きが増すのです。ですから限りのない自然破壊、生命破壊の生き方になってしまいます。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p70】
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2025年11月25日読了時間: 1分
出家は常に無執着の精神を保たなくてはいけない
出家は常に無執着の精神を保たなくてはいけない 律蔵には、生き方にかかわるたくさんの戒律項目があります。お布施を目的に説法すること、布施をいただくために祈祷をすること、自分がまじめに修行しているのだと言いふらして信者の気持ちを引くこと、在家の間の使い走りをしてあげることなどは禁止です。要するに「楽に生きられるように、私に布施が入ればいいなあ」と思うこと自体が禁止なのです。 とはいっても、出家比丘たちは苦しい生活をしているわけではありません。在家仏教徒たちも、理性のある立派な方々です。仏教は基本的に品格のある生活を要求します。ですから在家の方々は、出家者に苦労をさせません。気持ちよく、また気楽に修行できるように協力し、出家者にみじめな生活をさせません。仏教を教える伝道活動を気楽にできるように、惜しみなく協力してあげるのです。ですから出家は、この落とし穴に陥りやすいのです。常に無執着の心で布施をいただくよう、努めなくてはいけません。慈しみの気持ちは欠かせません。「裕福な信者さんたちがいる。お陰で裕福な出家生活ができる」という気持ちになったら、ājīva
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2025年11月24日読了時間: 2分
在家が高い徳を積む
在家が高い徳を積む もし在家信者が、自分たちが徳を積むために、また出家の修行に協力してあげるために、料理を作ってお布施するならば、それは慈しみに基づいていただきます。在家が衣の面倒を見てくれるならば、慈しみに基づいていただきます。住むところを造ってくれるならば、あるいは病気になったときに薬をくれるならば、いただいても構わないのです。それによって在家が高い徳を積むのです。ですから布施をいただくことは、出家の無執着の慈しみのおこないでなければいけません。慈しみの気持ちがなく、「よかった。いいものをもらいました」という気持ちになったならば、心が汚れたということです。煩悩が牙を剥いたのです。それで生計を立てたならば、汚れた生き方になります。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p69】
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2025年11月23日読了時間: 1分
生きるとは他の生命にも迷惑をかける行為
生きるとは他の生命にも迷惑をかける行為 人が生きるとは、自然破壊をすることです。いくらがんばっても自然破壊を避けられません。また、生きるとは他の生命にも迷惑をかける行為です。これも避けられません。生きていきたいと思うならば、それは自然と他の生命に対する破壊行為・迷惑行為になります。しかし出家は、この矛盾から脱出することができます。托鉢に出て、人がすでに調理した残り物の食べ物をいただいたならば、その出家が食べる分で自然破壊したことにはなりません。樹の下や空き家で夜を過ごすならば、住居を造るために自然破壊する必要はありません。人が捨てた服を拾って縫い合わせて衣を作れば、自然破壊したことになりません。病気になったら、仔牛たちの尿を取って飲めば、薬を調合するために自然破壊したことになりません。この生き方は、出家の基本です。「かならずこのとおりに生きなさい」という強制ではありません。それでは仏道の中道が壊れて、極端な道であると説かれた苦行の道になります。あくまでも基本です。出家はこの基本を憶えておくのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第
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2025年11月22日読了時間: 1分
出家は仕事をしてはいけない
出家は仕事をしてはいけない出家の仕事は何でしょうか? 出家は仕事をしてはいけないのです。仕事をするとは、命を守るために何かの行為をすることです。生きる目的でおこなう行為です。解脱を目的に出家したならば、生きる目的を目指せないのです。この二つの目的は正反対です。しかし、解脱に達するまで生きていなくてはいけません。死ぬことは解脱ではないのです。死ぬ前に、煩悩を根絶して解脱に達しなくてはいけないのです。解脱を目的として出家した人は、その目的に達するまで生きている必要が生じます。それは、生きていきたいという生存欲ではありません。ただ否応なしに、生きていなくてはいけないことになっただけです。 とはいっても、命を繋ぐためには着るものと食べ物が必要です。住むところと病気にかかった場合の薬も必要です。在家はそれらを、仕事を通じていただきます。それに対して仕事をしない出家は、在家のお布施に頼るはめになるのです。しかし、お布施に頼ることは仕事をするより簡単であると誤解してはいけません。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p
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2025年11月21日読了時間: 1分
出家戒律③ājīva-pārisuddhi-sīla「生活の清浄という戒」
出家戒律③ ājīva-pārisuddhi-sīla「生活の清浄という戒」 三番目はājīva-pārisuddhi-sīla です。「生活の清浄という戒」と訳します。生活にかかわる戒律です。生活することによって、心が汚れないように気をつけることです。要するに、汚れた生活はいけない、ということです。 この説明だけでは理解できないと思います。「仕事」という言葉を中心にして考えてみましょう。在家の方々は仕事をして生計を立てています。もしその仕事が罪を犯すことになるならば、法律を犯すことになるならば、世間常識を破る行為になるならば、簡単に言えば「悪いことをして金儲けをしている」ということになるでしょう。例えば、麻薬を販売すること、武器を密輸して販売すること、インチキ薬を派手に宣伝して販売すること、などです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p68】
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2025年11月20日読了時間: 1分
出家戒律② indriya-saṃvara-sīla「六根の制御」
出家戒律② indriya-saṃvara-sīla「六根の制御」 二番目はindriya-saṃvara-sīla といいます。眼耳鼻舌身意という六根を制御するのです。見たい放題見たり、聞きたい放題聞くのではなくて、見ても、心の中で欲と怒りが生まれないように気をつける。音を聞いても、心の中で欲と怒りが生まれないように、混乱しないようにガードする。ご飯を食べても、そのおいしさで欲か怒りが生まれないようにガードする。心の安定を守る。そういう戒律です。 このセクションは、瞑想実践に励む在家の方々もいくらか注意した方がよいところです。修行中、眼から、耳から、鼻から、口から入る情報に心が揺らいでしまったら、誘惑されてしまったら、修行を中断するはめになります。眼耳鼻舌身に入る色声香味触という情報によって、心にいとも簡単に欲か怒りが現れてしまうのです。感情が牙を剥いたことになります。在家の方々も解脱を目指して修行する場合は、修行中、この戒律を守るように精進した方がよいです。気づきの実践をしているならば、自然にこの戒律を守っていることになります。【アルボムッレ
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2025年11月19日読了時間: 1分
出家戒律は四種類
出家戒律は四種類 出家の場合、戒律は五戒・八戒などではありません。全面的に心の感情を攻撃しなくてはいけませんから、戒律項目は膨大です。しかし、その膨大な項目は四種類に分けられていますので、守ることはそれほど厳しくありません。 出家戒律① pātimokkha-saṃvara-sīla「完全に防護する」 一番目はpātimokkha-saṃvara-sīla です。Pātimokkha は、「完全に防護する」という意味です。この戒律項目を守れば、修行者は解脱に達するまで完全に防護されるのです。煩悩が牙を剥いて心を汚し、修行を中断に追い込むようなことはさせません。パーリ律蔵の比丘戒では、二百二十七項目の戒律がpātimokkha-saṃvara-sīla になります。出家する方々には、最初にpātimokkha-saṃvara-sīla を守る方法を教えます。在家の方々がそれを学んでも知識が増えるだけで実践はできませんから、ここで説明する必要はないと思います。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p67】
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2025年11月18日読了時間: 1分
人格者に戒律の必要なし
人格者に戒律の必要なし お釈迦様が項目戒律を定めたのは、悟りを開いて二十年経ってからです。そのとき、お釈迦様は五十五歳でした。そこまでは戒律項目が一つもないまま、仏教が世に広まっていきました。それでもたくさんの人々が、解脱に達しました。出家解脱者も、悟りに達した在家の方々もたくさんいました。 この現象も理解しておいた方がよいです。最初にお釈迦様に出会ったのは、皆、人格的に立派な方々でした。ブッダの教えはそれほど知られていませんでしたし、その内容も一般常識を超えたものでした。ですから、興味のある人々が、わざわざお釈迦様を訪ねて教えてもらったのです。最初の弟子たちは、仏弟子になる前から出家者でした。その方々が入っていた宗教組織の行儀作法なども、すでに身についていました。ですから、「行儀よくしなさい。殺生したり嘘をついたりしてはいけない。邪な行為をやめなさい」などと言う必要はありませんでした。また、当時も生活目当てに出家生活を始めた人々は当然いましたが、そういう人々は精神を清らかにすることに興味がなかったので、釈尊を訪ねることはありませんでした。 この
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2025年11月17日読了時間: 2分
在家戒律
在家戒律 在家にとっての戒律はどうでしょう。在家の仏教徒も解脱を目指します。仏教を実践しなくてはいけないのです。しかも同時に、在家生活も営まなくてはなりません。というわけで、戒律は五項目に集約されています。それはみなさんが知っている五戒です。瞑想実践に入る場合は、修行中なのでいったん在家生活を中止しています。その場合は、八戒か十戒を守ります。 戒律を守ることで、品格のある人間として生きられます。感情を制御しているので、優れた善行為をしていることにもなります。罪を犯さないで生活することができます。社会の中で問題を起こさないので、安心して生きられます。そのような理由から、瞑想実践しない仏教徒も在家戒律を守る努力をするのです。 戒律とはまともな社会人として生きることであると理解するならば、それは宗教的な特別な行ではないことが分かります。しかし一般的には、「戒律」という言葉を聞いただけで敬遠する気持ちになります。要するに、守りたくないのです。これは根本的な煩悩の症状です。生命は自分の感情のままに生きていきたいのです。感情のままに生きることが反社会的な行動
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2025年11月16日読了時間: 2分
戒律はお釈迦様の解決策
戒律はお釈迦様の解決策 仏典を読むと、お釈迦様がしぶしぶ戒律項目を定めていったことがよく分かります。「戒律項目がなかったときは、たくさんの弟子たちが解脱に達しました。今、たくさん戒律項目があるが、解脱に達する弟子たちの数はずいぶん減りました」とこぼしたこともありました。お釈迦様は戒律項目を定めるたびに、戒律の目的を明確にしていました。繰り返し繰り返し、それを述べるのです。しかし、目的は一項目です。弟子たちが、戒律の目的は煩悩に牙を剥くチャンスを与えないことであると理解しておけば、一億に近い戒律項目も負担にならずに済みます。 ブッダは涅槃に入られる前、「如来が涅槃に入ってから、些細な戒律を適宜に無視してもよい」と説かれました。しかし仏弟子たちには、些細な戒律とは何かと決めることはできません。その基準はないのです。仏弟子たちはこのように決めました。「釈尊の説かれた戒律を犯すことも、説かれていない戒律を設定することも、ブッダの教えの衰退の原因になると、釈尊が忠告なさったのです。ですから、些細な戒律の改良もやめて、釈尊の定められた戒律項目をすべて、これか
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2025年11月15日読了時間: 1分
「心を汚してはならない」という一項目
「心を汚してはならない」という一項目 他宗教でも項目戒律があります。厳密に戒律項目の数を決めることは不可能であるにもかかわらず、十戒などの戒律を断言するのは問題です。しかし、宗教家たちは自分勝手に、時代の要求に応じて規則を作ります。それに反対する人々も現れます。そして宗教組織としての調和が乱れて、分派してしまいます。 社会も戒律項目を決めています。どんな社会であっても、その社会において「あってはいけないこと」があります。政府も法律という戒律項目を決めます。また、各家族にも、家族の決まりというものがあるようです。学校には校則があり、会社には社則があります。守らなければ、社会の一員としての自分の地位が危ういものになります。このような規則は、社会の秩序と繁栄を目指して定められるものです。これらの規則の数も、無数です。憶えるのは大変です。実際には誰も憶えていません。しかし皆、法律と規則を守って、なんとか無事に生きています。 日本の社会では、無数にある規則を「他人に迷惑をかけてはならない」という一項目に見事にまとめています。同様に、仏教の場合は、「心を汚し
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2025年11月14日読了時間: 2分
仏教では、釈尊が定められた戒律は守らなくてはいけない
仏教では、釈尊が定められた戒律は守らなくてはいけない 次の問題は、戒律項目は誰が設定するのか、ということです。誰にその権利があるのでしょうか。解脱を目指す仏教の場合は、これは問題になりません。感情を砕くために戒律項目を設定するので、感情を砕き終わった人には、同じ目的を目指す人々に戒律項目を定める権利があります。仏教の場合は、お釈迦様の独占権になります。たとえ阿羅漢になった聖者であろうとも、初めはお釈迦様の弟子なのです。智慧を完成し、煩悩を根絶したお釈迦様が定めた戒律項目は、文句を言わず守らなくてはいけません。 大きな戒律項目ではなく細かい戒律項目の場合、例えば「走ってはならない」などは、心に影響を与えない可能性があります。それで調子に乗って細かい戒律を無視すると、師匠である釈尊を無視した、冒瀆したことになるのです。これが解脱の大きな障害になります。というわけで仏教では、釈尊が定められた戒律は守らなくてはいけない、ということになっています。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p63】
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2025年11月13日読了時間: 1分
項目戒律の存在意義
項目戒律の存在意義 戒律が必要とされる理由は、自分の精神状態をチェックする能力が皆にあるとは言えないからです。ですから、戒律・規則をいちいち項目として設定して教えてあげなくてはいけなくなったのです。 例えば、「殺してはならない」という項目が設定されています。ある人に怒りが湧き上がったとしましょう。自分の怒りの感情に気づかず、相手が悪いと思うばかりです。殺意も起きます。しかし、規則を守らなくてはいけないので、相手を殺すことをやめます。それで湧き上がった怒りは目的に達することができなくなります。またその人に、怒りによる殺意ではなく、相手を侮辱したいという意志が生まれたとします。この場合は「他を侮辱してはならない」という規則が対応します。その人がその規則を守る気になっているならば、罪を犯さずに済むのです。品格は守られます。 この段取りを考えると、項目戒律はかなり厄介なものであると理解できます。貪瞋痴の感情が湧き上がったら、人は何をするか分かったものではありません。人が罪を犯すたびに、戒律項目を設定しなくてはいけないのです。これは終わりのない作業になりま
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2025年11月12日読了時間: 2分
制御された生き方が感情の邪魔をする
制御された生き方が感情の邪魔をする 問題は、無知の感情が湧き上がったらどうするのか、ということです。感情は無知なので、当然、それに気づくことはできません。そこでまず、欲と怒りの感情に従わないように生きてみます。すると、無知にも気づけるようになります。頭が混乱した状態に陥ったとき、判断能力を失ったとき、なんにも集中できないとき、私たちは無知に支配されています。そのときは、何もしゃべらず、何もおこなわず、冷静な気持ちに戻るまで黙っていればよいのです。品格を問われる過ちは犯さずに済みます。 このように自分の心の状態(精神状態)をチェックしながら生き方を制御するのが、戒律を守って生きることなのです。戒律は、貪瞋痴がはたらかないように邪魔する生き方です。これで解脱に達する道がスタートします。自分の制御された生き方が感情の邪魔をすると、感情が弱くなっていきます。これが仏教心理学的な戒律の説明であり、実践方法です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p62】
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2025年11月11日読了時間: 1分
品格のある人間として、生きてみる
品格のある人間として、生きてみる 解脱に達する人々は、感情(千五百煩悩)を根絶するのです。仏教の戒律とは、煩悩を砕く過程の第一歩です。 仏教の戒律は心理学的な実践方法であり、決して宗教的なしきたり・儀式ではありません。このことを理解するのはいたって簡単です。怒りが湧き上がったとしましょう。その感情が心と身体を支配するのです。怒りが人にしゃべらせる。そのとき、まともな社会人として発してはいけない言葉を発してしまいます。怒りが行為をさせる。そのとき、まともな社会人としておこなってはいけない悪行為をしてしまいます。ここで戒律を守るのです。戒律を実践したいと精進する人は、悪語を話したいが話さないことにする。自己を制御する。悪語といえば、妄語(嘘)・粗悪語(乱暴語)・離間語(噂)・綺語(無駄話)という四種類です。 欲の感情が湧き上がったときも、怒りのときと同様に自己制御します。これが戒律を守るということです。要するに、まともな社会人として、品格のある人間として、生きてみることです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ201
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2025年11月10日読了時間: 1分
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