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札幌仏教塾
55 「自分は駄目な人」というエゴを捨てる
「私はこれほどの者だ」と思うのと同じく、「私には能力がない」と思うのもやはりエゴです。「この人にはいろいろ能力があるが、私にはそんな能力がないから悔しい」と思うから、相手をねたむ気持ちが出てくるのです。自分に能力がないことが嫌で、能力がある人に対して怒りを感じるのです。けれ...
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2024年12月1日読了時間: 1分
54 皆、「私」が一番偉いと思う
「私は、たった一つの大事な存在です」と、皆、思っています。「私は唯一の存在で偉い。だから私のことについて調べたり、私に指図したりする必要はない」と思っています。だから「私にいちいち、いろいろなことをゴチャゴチャ言わないでくれ。それが私は大嫌いだ」と思っています。それなのに「...
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2024年11月30日読了時間: 1分
53 「美」という偏見
「美」っていう言葉は、主観。「これこれこういう条件がそろったら美です」ということは成り立たないんですね。あくまでも人間の気持ち。だから、いくらでも変えられます。たとえば世間から「細い人が美しい」と言われ続けちゃうとマインドコントロールされて、そうなってしまいますね。日本では...
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2024年11月29日読了時間: 1分
52 肉体は地球からのレンタル
肉体は、個人のものではありません。地球のものなのです。地球から、太陽のエネルギーから身体を作るのです。私たちは肉体に限らず、地球からすべてを借りています。いわば、すべて「レンタル」です。皆さん、あまりレンタルだとは思わないようです。「これは私の家」「これは私の身体」「これは...
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2024年11月28日読了時間: 1分
51 自我を張っても何もできない
我々は自我を張って「私がいる」ことを前提にして凶暴に生きていますが、生まれたときから死ぬまで、自分の希望、自分の考え方というのはぜんぜんどこにも通じたことがありません。目をそらさず発見してください。老衰で寝たきりになっているわがままな人を観察してください。無智で自我を張るだ...
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2024年11月27日読了時間: 1分
50 自我の仕組み
自我とは「私は完璧だ」と思うことです。いつでも自分が正しいのです。たとえば私が、この水がおいしい水だろうと思って飲む。飲んだらなんか変なものが入っていて、まずかった。そうすると誰かに怒るのです。「なんてことをしたのですか!」という具合に怒りが起きたのは、自分が「これはおいし...
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2024年11月26日読了時間: 1分
49 自分が感じた主観は、客観的事実ではない
慢(まん)の意味は「比べること。計ること」です。「私がいる」ということを前提として仮定し、すべての情報を比べてみるのです。例えば「この音はきれいであの音はきれいではない」というのは、私がいなければ、比べられませんね。「『私には』この音はきれいです。『私には』この音はきれいで...
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2024年11月25日読了時間: 1分
48 細胞がやっているのは、伸びと縮みだけ
人間には約四十兆の細胞がありますが、細胞一つひとつが何をやっているかというと、仲びる、縮む、伸びる、縮む、ただそれだけです。細胞はそれ以外、何もやっていません。四十兆まとめて見ても、伸び縮みをやっているだけです。しゃべるのも伸び縮みの結果、手を振るのも伸び縮みの結果です。伸...
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2024年11月24日読了時間: 1分
47 自我は「政府」のような概念
「政府」という概念があります。政府は、どこかにあるわけではないのです。政府とは観念であって、実在するものではありません。政府とは、政治にかかわる人の仕事をひとまとめにするための便利な言葉です。自我もこのような概念です。見えるもの、聞こえるものなどのさまざまな情報をひとまとめ...
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2024年11月23日読了時間: 1分
46 社会的な地位や名誉は「買い物袋」にすぎない
みんな、生きることに意義を探しているんですね。私は歌手だから…..… 先生だから・・・・・・母親だから・・・・・「だから生きている」という言い訳。人間は生きるために何か言い訳が欲しいのです。それが社会的な地位であろうが、お金であろうが、名誉であろうが、どうでもいい話でね。そ...
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2024年11月22日読了時間: 1分
45 まっさらなスクリーンでいること
「自分」とは、どんな映像でも映すことができる白いスクリーンでなければいけません。もともとスクリーン自体に画像があったら、どうなるでしょうか? スクリーンに青や赤、あるいは風景の画像とかが印刷されていて、派手な色がついていたら、映し出すことは可能でしょうが、何が投影されている...
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2024年11月21日読了時間: 1分
44 「自分探し」から争いが生まれる
皆、何かしら、「私は何者か?」と探し求めています。自分は何か偉い人物・尊い存在であると、そう思っているのです。いわゆるアイデンティティ(自己同一性、変わらない自分)を強化したくて、安定させたくて必死なのです。皆、愚かで無智なのです。無智の結果は当然、自業自得なので、人生の道...
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2024年11月20日読了時間: 1分
43 自分の意見にしがみつかない
「自分の意見は正しいかもしれません。間違っているかもしれません」という態度をとってみましょう。意見に対して、正か否か決めつけないことで大脳が成長します。大脳はあいまいな状態が嫌いです。さっさと判断して落ち着きたいのです。誰だって、何かを決めた瞬間、落ち着きを感じるでしょう。...
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2024年11月19日読了時間: 1分
42 自分とは何か?
「私は何者か?」ということは、その環境によって一時的に成り立っているだけのことです。時空が変わったとたん、もう別人なのです。たとえば、ある集いに参加していれば、参加者です。ちょっとトイレに行ったら、その人は集いには参加していない。いまトイレという時空の人なのです。「あなただ...
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2024年11月18日読了時間: 1分
41 我感じる、ゆえに我なし
「我感じる、ゆえに我なし」です。なぜならば、感じることは瞬間で変わるのだから。瞬間で「我」は死んでいるのです。だから瞬間に感じることが、その瞬間の我です。新たな我が生まれるためには、今の我が死ななくてはいけないのです。瞬間に変わらないと、感覚は成り立ちません。一時的に我があ...
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2024年11月18日読了時間: 1分
40 自我を捨てても損はない
「自我を捨てなさい。執着を捨てなさい」と言われると、人は嫌な気分になる。「こんな大事なもの、捨てなさいと言われても捨てられるわけがない」と思います。ブッダの話を聴くと、大損するのではないかと思ってしまいます。しかし、自我を捨てても執着を捨てても何の損もありません。始めから自...
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2024年11月16日読了時間: 1分
39 与えることで幸福になる
お釈迦様は、因果法則を知って、「じゃあ、取ることではなく、与えることをやってみたらどうですか」と説かれたのです。こちらが「取る」だど相手も「取る」になります。こちらが「与える」だと、向こうは逆のことを感じます。なんとなく「申し訳ない」という気分になります。われわれは、動物と...
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2024年11月15日読了時間: 1分
38 欲を満たしても、疲れて壊れる
人は満たせない欲を満たそうとしているのです。人生が壊れるのも当然の結果です。一時的に欲を満たすことができても、それも身体が壊れる原因になります。満たす気持ちをやめて、わずかでも得たものに対して喜びを感じたらいかがでしょうか。ないものに泣くことをやめる。たとえ失敗することがあ...
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2024年11月14日読了時間: 1分
37 不公平な世界
人は必要不可欠なものだけでは満足しない。欲に目がくらんで、より多くのものを必要とする。そうすると他人から奪わなくてはいけないのです。この世は強者生存、弱者衰退が法則になっています。異常欲のせいです。みるみるうちに組織、社会、国々は衰退して滅びていきます。そこでお釈迦様はサン...
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2024年11月13日読了時間: 1分
36 欲から怒りが出てくる
実は、欲と怒りというのは同じコインの表と裏なのです。いつでも表は欲です。欲が生まれると、裏側には怒りが一緒に生まれていて、欲がうまくいかないと怒りになります。欲がある人に、「私は怒りません」とは言えません。条件がそろえば、すぐ怒りが起こります。このように、怒りはあとから起こ...
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2024年11月12日読了時間: 1分
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