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札幌仏教塾
304 死ぬのは誰のせいでもないから
我々はずっとみんなに支えられて生きていますが、自分の肉体はみんながいくら助けてくれても壊れます。みんなのせいではなくて、自分が壊れるのです。お医者さんを千人集めても、家族や親戚がみんなそろっても、どうにもなりません。ですからそのときは、何の憎しみも恨みも持ってはいけません。...
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2023年10月28日読了時間: 1分
303 死という概念を頭に入れる
死というのは一番念頭に入れておかなければならない概念です。けっして避けるべきものじゃないんです。生命は瞬間瞬間にも死んでいきます。この一秒は二度と戻りません。だから、「捨てる能力」ですね、大事なのは。つかまってしまうと苦しい。なぜかといえば、つかまろうとしてもつかまれないん...
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2023年10月27日読了時間: 1分
302 常に自分が死んでいくことを観察する
我々が頭でっかちに考えている「死」は、最終的に肉体の活動を終了することです。しかし、常に自分が死んでいくということは、頑張ってみれば、ほんのちょっとの努力で体験できます。お釈迦様は瞑想という方法を教えています。それは「ありのままに観てください」ということです。ありのままに観...
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2023年10月26日読了時間: 1分
301 死随念で慈しみと理性が現れる
葬式を行なったとしましょう。遺体を見て、「この人は亡くなって死体になっている。私も確実にこのようになる。私にも死が訪れる」と念じます。このように他人の死を観て、自分の死に入れ替えてみることが死随念です。徐々に、自分の死も現実的に感じられるようになります。「私は死なないのだ」...
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2023年10月25日読了時間: 1分
300 死を念じることが、心の開発につながる
人は死を認めません。「私は死なない」という前提で、自分の人生設計をするのです。間違った前提の上に成り立つ計画は、崩れるに決まっています。人々は「幸福になりたい」と計画します。それが悩み苦しみという結果に終わるのです。この問題を解決しなくてはいけないのです。やり方は一つです。...
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2023年10月24日読了時間: 1分
299 死にそうになってからでは遅い
死にそうになって初めて、みんな死について興味を持ったりしますが、それでは遅いのです。大学に入りたいと思ったのが試験の前日なら、勉強するぞと思っても駄目でしょう?人生はそれもっと厳しいのですから、我々はずっと人生や生き方というものを勉...
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2023年10月23日読了時間: 1分
298 死ぬときに悔いなしと思える人生を
生まれてから死ぬまでのあいだ、うまくずっと面白いことをやって生きることができれば、死ぬとき、悔しくありません。死ぬときに、「ああ、けっこうやりたいことをやって生きたなあ」「もう思い残すことはない」「大丈夫だ」と、そういうふうに思えれば、死ぬときに「悔しい」とは思わないでしょ...
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2023年10月22日読了時間: 1分
297 死を悲しむのは格好が悪い
自分の子供、親が亡くなったと悲しむとき、「自分は相変わらず元気だ」という前提があるのです。自分はぴくりともしない川岸にいて、流される木の葉を哀れむような傲慢さです。しかし、そんな保証がどこにあるのでしょうか? 人間なんて、いつ死んでも不思議はありませんよ。だから、人が死んだ...
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2023年10月21日読了時間: 1分
296 臓器移植は何ら問題なし
「臓器を移植したら、その臓器の元の持ち主の心・精神の影響を受ける」などとくだらないことを言う人もいますが、それはただの妄想です。目が見えなくなれば他の人の角膜を移植して見えるようになっても構いませんし、心臓が動かなくなったら、他の人の心臓をもらって使っても構いません。日本で...
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2023年10月20日読了時間: 1分
295 ありがたいことも、ありがたくない
私たち人間は、生命は、すぐ死ぬのですから、これを助けてくれる人というのはありがたいと思い込みます。生きることを支えてくれるものは、何であろうとも「善いもの、価値あるもの」と思ってしまいます。しかし、ありがたいことがいくらあっても、ありがたくないのです。なぜなら、死ぬからです...
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2023年10月19日読了時間: 1分
294 生命誕生と輪廻
お腹の中に生命が誕生するでしょう。突然、お腹に心が現れますか? 偶然には何も現れません。いかなる現象も因果法則によって現れます。子宮に新しい命が現れることも、因果法則の結果です。死があったら、次に生です。どこかに心の死が起きて、子宮の中で心の生が現れたのです。これは仏教でい...
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2023年10月18日読了時間: 1分
293 幸せな死を迎える最大の条件
人間の一生は毎日、毎時の時間の経過です。今日は昨日とは違うし、一時間前も今とは違います。一分前、いや、一秒前でさえ今とは違うのです。人間はいつでも死ぬ可能性があります。明日になって急に死んでしまうかもしれません。ならば、悔いのない人生を送るためにはいつ死んでも大丈夫だという...
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2023年10月17日読了時間: 1分
292 死にたくないわけ
我々は「死にたくない。死ぬのが怖い」という感情を持っています。それには理屈がありません。なぜ死にたくないのですか? 「死ぬのが怖い」と言ってしまうと、死んだ経験はないのだから、合理的な理由が何も見つからないのです。自分が知っているのは、他の人が死ぬことだけです。「おじいちゃ...
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2023年10月16日読了時間: 1分
291 生きるときも死ぬときも一人
生きることは残酷です。そもそも一人で生まれなくてはいけません。赤ちゃんはお腹の中にいるときから自分の力で大きくなって、自分の力で呼吸して、自分の力で生きていなくてはいけない。自分の力で母体にしがみついているのです。生まれてからは、助けてもらえますが、でも、たくさんの仕事を赤...
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2023年10月15日読了時間: 1分
290 「死にたい」も「死にたくない」も両方捨てる
執着とは、「死はヤバい」と思うことなのです。「死んでは駄目だ」という、みんなに与えられているバカな指令なのです。「死んでは駄目だ」とは、どういう意味でしょうか? 意味がない指令でしょう。でも、すべての生命は死にたくない。「なぜ?」と聞いてもわかりません。死にたくないという気...
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2023年10月14日読了時間: 1分
289 いつでも死ねるという状況をつくる
死にそうなときに、「ああ死にたくない、この財産はお嫁さんにあげたくない」とか、「私が死んだらうちの会社は、息子はどうなるのか。こいつは会社を倒産させるかもしれない。困った、困った」などというのは、バカで生まれて、死ぬときにさらにバカになっているということです。そうではなく、...
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2023年10月13日読了時間: 1分
288 私が消えれば死の疑問は成り立たない
「私が死んだらどうなるのか?」という質問に対して、お釈迦様は、まず「私」を発見しなくてはいけないよと教えています。そして答えも出しています。「私は、いませんよ。それは幻覚にすぎません。調べてごらんなさい」と。そこで、我々は瞑想修...
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2023年10月12日読了時間: 1分
287 何も持たなければ、死は怖くない
死を恐れるもう一つの原因は、自分が執着している財産、人々、地位などから離れるのが嫌だということです。お金はたくさんあるし、好きな人々もいるしとなると、こうしたものは捨てたくありません。しかし、死ぬと捨てなくてはならない。ですから死ぬのが怖いのです。だからこそ、お釈迦様は仏弟...
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2023年10月12日読了時間: 1分
286 死ぬのが怖くなくなる方法
「死ぬのが怖い」ということは、「生きるのは好き」ということです。「生きることは快楽だ」と思っているから、死ぬのが怖いと思うのです。生きることが快楽だったら、死ぬことは嫌ですね。その快楽をもたらす自分の肉体は、最高の宝物だと思うでしょう。ですから、それが壊れるのは嫌なのです。...
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2023年10月10日読了時間: 1分
285 たとえ殺されそうになっても、殺してはいけない
仏教では、たとえ自分が殺されそうになっても相手を殺してはいけない、と教えます。殺さなかったら殺される、という場合は、たいてい相手を殺してしまうでしょう。「それでも理論的には罪ですよ」と、仏教では強調します。正当防衛で相手を殺して寿命をまっとうしたとしても、大したことはありま...
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2023年10月9日読了時間: 1分
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