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札幌仏教塾
瞬間のいいかげんな感覚に依存し振り回されている
瞬間のいいかげんな感覚に依存し振り回されている 「リンゴはおいしい」といっても、本当に客観性をもって食べてみてください。あるときはおいしくて、あるときは全然おいしくない。食べたくもないほど嫌という場合もあるはずなのです。どんなものにもそういうことはある。コーヒーや日本茶、紅...
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2025年8月12日読了時間: 2分
人は音楽をきちんと観察していない
人は音楽をきちんと観察していない この苦・楽・非苦非楽というのは、いいかげんな感覚で、しっかりしていないのです。音が入ってきて楽が生まれたなら、次に音が入ってもまた楽が生まれるというなら、数学的で正しいのです。「ある特定の音が入った。ある楽しい感覚が生まれた」というならば、...
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2025年8月11日読了時間: 2分
音がなくなったら生まれる感覚
音がなくなったら生まれる感覚 音が入ると、きれいな音だ、うるさい音だ、云々と色んな感覚が生まれてきます。音がなくなったら、そこで生まれる感覚はnirāmisa です。だから論理的に言えば、食べて「楽」を感じている人から、食事を取り上げてしまったら、確実に苦しくなるでしょう。...
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2025年8月10日読了時間: 1分
対象に依存しないことで生まれる感覚
対象に依存しないことで生まれる感受 Nirāmisa はsāmisa の反対で、何かに依存しないで生まれる感覚です。何かに依存しないで生まれる感覚も、苦と楽と非苦非楽の三つに分けています。耳に色んな音が入ってくると、色んな楽・苦・非苦非楽が生まれてきます。そこで音が止まった...
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2025年8月9日読了時間: 1分
依存している
依存している Sāmisa というのは、原因があって生まれてくる感覚なのです。いわゆる対象があるのです。目を開けて何かを見る。すると「楽しい」と感じる。なぜ楽しみが生まれたのでしょうか。「目で何かを見た」からなのです。だから、いまの自分の楽しみは、自分の目と見えた対象に依存...
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2025年8月8日読了時間: 2分
対象に依存して生まれる感受
対象に依存して生まれる感受 Sāmisaṃ vā sukhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘sāmisaṃ sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Nirāmisaṃ vā sukhaṃ vedanaṃ vedayamāno...
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2025年8月7日読了時間: 1分
身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る
身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る 受というのは身体の感覚です。その身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観るのです。一つめは、sukhaṃ vedanaṃ「楽」楽しい感覚(気持ち)です。その感覚(気持ち)が身体に生まれたら、「いまは楽しい感覚です」と確認します。次にd...
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2025年8月6日読了時間: 1分
苦・楽・非苦非楽を観る
9 ‘‘Kathañca pana, bhikkhave, bhikkhu vedanāsu vedanānupassī viharati? Idha, bhikkhave, bhikkhu sukhaṃ vā vedanaṃ vedayamāno ‘sukhaṃ...
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2025年8月6日読了時間: 1分
骸骨が動いている
骸骨が動いている この死体の観察瞑想に関して、あるエピソードがあります。ある女の子がお嫁に行ったところで、旦那と喧嘩して「実家に帰ります」と森のなかの道を帰ってしまった。 この女が駆け込んだ森では、あるお坊さんが九つある死体の瞑想のなかから、骨だけを取って「もう皆、骨だけで...
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2025年8月5日読了時間: 2分
観方が変われば瞑想は成功
観方が変われば瞑想は成功 身の随観に出てきた九つの死体の観察瞑想にしても、普通の人間が全然観ようとしない角度で観ているのです。普通の人間が観る角度で観たら、いっこうに覚らないし、いっこうに智慧が生まれてこないのです。普通の人々が生きているのは「価値の世界」、つまり無智の世界...
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2025年8月4日読了時間: 1分
客観的に現実を観る
客観的に現実を観る それなら客観的に現実を観ることです。どんなものでも瞬間・瞬間、変化して新しいものに変わっていくのです。古いものはいまあるわけではありません。千年も前のものを、いま見ることは不可能なのです。いま見ているのはいまあるものなのです。これは、千年前から、千年間ず...
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2025年8月3日読了時間: 1分
水の上に書いた線
水の上に書いた線 例えば何でも水の上に書いた線のように消えてしまいますよと。水の上に書いた文字のごとくもう書くと同時に消えていきますから。そのように全ては瞬間・瞬間、無常ですと言っても、愚か者どもたちは「やっぱり地球はずうっとあるのではないか」とか、「人が死んでも歴史的な文...
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2025年8月2日読了時間: 1分
無常が分かれば「価値観」の苦しみが消える
無常が分かれば「価値観」の苦しみが消える 愚か者たる私たちは、「全て無常である」という真理を否定して苦しんでいます。その否定したがる気持ちをお釈迦様は「渇愛」と言っています。だから、渇愛さえ消してしまえば、それで全て解決する、簡単・単純ではないか、という教えになるのです。そ...
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2025年8月1日読了時間: 1分
長持ちしてほしいという希望
長持ちしてほしいという希望 なぜ、長持ちしてほしいという希望が生まれるかというと、自分も他人も、全てすぐ消えていくことを毎日・毎日、瞬間・瞬間に経験しているからです。瞬間・瞬間経験しているものを否定するのです。だから「愚か」としかいいようがない。瞬間・瞬間、無常ということを...
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2025年7月31日読了時間: 1分
永遠を謳う妄想概念
永遠を謳う妄想概念 なぜ永遠を謳う妄想概念が出て来るかというと、心には長持ちしてほしいという希望があるからです、どんなものについても。炊いたご飯にしても、三時間で腐るのはいやでしょう。とにかくちょっとでも長持ちするようにと、何とか苦労します。冷蔵庫や冷凍庫に入れたり、あるい...
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2025年7月30日読了時間: 1分
人間の命は尊くて、価値がある
人間の命は尊くて、価値がある なぜ人間の命は尊くて、価値があると思っているというと、魂は永遠だと勘違いしているからなのです。本当は魂さえも見つかっていないのに、永遠という特色だけはあらかじめ決まっている。あるかどうか分からないものですが、それは永遠ですよと言っているのです...
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2025年7月29日読了時間: 1分
無常論は「無価値」論
無常論は「無価値」論 なぜ「全ては無常だと観なさい」というかというと、無常という一言で「無価値です」ということも言っているからです。金はピカピカ光るからこそ価値があると言っても、それは嘘でしょう。他に金よりよく光るものはあります。でもそれは長持ちしないんです。普通のアルミ箔...
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2025年7月28日読了時間: 1分
色受想行識
色受想行識 なぜ仏教では身体を色受想行識という五つの要素のみに分けているのでしょうか? どんな人の身体にしても、色受想行識しかない、と言ったとたん、人間の価値ということは言えなくなるのです。人間に価値があるというインチキな話があるでしょう。人間は評価できないのだ、命は尊いの...
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2025年7月27日読了時間: 1分
ブッダは「価値」の苦しみを解除する
ブッダは「価値」の苦しみを解除する 価値を入れる世界というのは苦しみの世界であり、切りがない世界です。なぜかと言うと価値はいいかげんだから実際にその意味があるわけではない。ダイヤが高価な価値を持つというなら、万人にダイヤが高価なものでなくてはならないでしょう。しかし、ダイヤ...
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2025年7月26日読了時間: 1分
「価値の世界」と「非価値の世界」
「価値の世界」と「非価値の世界」 ブッダの教えは現代の人々に分かりやすく言うならば、「価値の世界」と「非価値の世界」の二つに分けられているのです。世のなかの全ての学問知識は価値の世界に入ります。価値を探す、あるいは価値のないものに価値をつけるのです。例えば水はもともと無料で...
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2025年7月25日読了時間: 2分
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