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札幌仏教塾
逆さまに観ることが「正しく観る」こと
逆さまに観ることが「正しく観る」こと これは不浄観というものではなく、まさに「厭逆観察」なのです。この漢字は「逆に観る」ということで、不浄観と書くよりはきちんと意味が通っています。逆さまにして観ることは、本当は「正しく観る」ことなのです。正しく観るとこんなものだ、ということ...
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2025年6月29日読了時間: 1分
生命の身体を部品化して観る
生命の身体を部品化して観る 不思議なことに、蛙の肺も同じように肺なのです。学校で解剖すると、蛙の心臓もただ小さいだけで、かなりの勢いで鼓動しているのが分かるでしょう。人間と比べたらスケールが小さいだけ。そういうふうに自分の身体も、他人の身体も、同じものでしかない、と分かった...
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2025年6月28日読了時間: 2分
今日は品物が入りました
今日は品物が入りました 昔から伝わるいくつかのストーリーがあります。お金持ちは死体を火葬しますけど、お金がない人はそのまま、土の上に置いておく場合があるのです。それで墓守がお坊さん達に「今日は品物が入りましたよ」と連絡する。そのお坊さんが死体を二、三週間観て瞑想したいと言っ...
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2025年6月27日読了時間: 1分
寺に墓はないが墓番とは仲が良い
寺に墓はないが墓番とは仲が良い 当時、インドではいとも簡単に遺体が見られました。人が死んだら、遺体を森に持って行って捨ててしまうという習慣もありました。仏教のお坊さんは、人の住まない森のなかでも生活していたので、墓場(遺体捨場)に行って解剖して観てみることもできたのです。 ...
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2025年6月26日読了時間: 2分
食べものの種類
食べものの種類 食べものはどれぐらいの種類に分けられるでしょうか。考えたこともないでしょう。三種類なのです。動物(肉・魚)、植物(野菜・穀物)、それから乳製品。人間が食べるのはその三種類。智慧の立場から見れば、それぐらいに分けてみればいいことなのです。そこで幻覚を破りたけれ...
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2025年6月25日読了時間: 1分
死体を観る瞑想は仏教だけのもの
死体を観る瞑想は仏教だけのもの 自分の身体の三十一の部分を全部観ることは不可能ですが、客観的に観ることができるものは観てほしい。観られる部分はいくらでもあります。自分の鼻水とか、自分の尿とか、大便とか、観察できます。それらは決してきれいなものではない。愛着が生まれるものでは...
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2025年6月24日読了時間: 2分
出家儀式は次のように行う
出家儀式は次のように行う 出家儀式の最初に、頭を剃らなければいけないのです。出家希望者が、「出家をお願いします」と頼むと、師匠のお坊さんが髪の毛を切る。一部を切って「これを持ちなさい」と手に持たせてあげる。これから捨てる髪の毛を手に持ってジーッと観なければいけない。ぜんぶ剃...
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2025年6月23日読了時間: 1分
不浄観は欠かせない修行です
不浄観は欠かせない修行です ここでは疑問が生じると思います。どのようにして、自分の腎臓・心臓・肺臓・肝臓・腸・胃物などを観察するのか、という問題です。当然これは無理です。しかし無理だからやらなくてもいい、ということにはなりません。自分の髪の毛、身体の毛、爪、歯などの観察はで...
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2025年6月22日読了時間: 2分
不浄の観察の仕方
不浄の観察の仕方は、それで終わります。次に、他の身を観察する瞑想も、同じやり方で瞑想を続けるのです。内の身体を観察する(自分の身体)、外の身体を観察する(他人の身体)、自分と他人という区別なく一般的な立場で身体を観察する。それから、身体が生起すること、消えていくことを観察す...
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2025年6月21日読了時間: 1分
ものごとを「観る」
ものごとを「観る」 両方に口のある袋が、種々の穀物に満ちているのを観察するように身体のなかを観たら、この肉体を構成している三十一種類の不浄が簡単に見られます。ヴィパッサナー瞑想の場合は、ものごとを「観る」だけです。観るものについて、考察したり、議論したりする必要はありません...
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2025年6月20日読了時間: 1分
例えで説明
両方に口のある袋 ‘‘Seyyathāpi, bhikkhave, ubhatomukhā putoḷi pūrā nānāvihitassa dhaññassa, seyyathidaṃ –sālīnaṃ vīhīnaṃ muggānaṃ māsānaṃ tilānaṃ...
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2025年6月19日読了時間: 2分
身体に好き嫌いは成り立たない
身体に好き嫌いは成り立たない 皆さん、身体を分解して部品単位で観たら、身体がきれいなものだとは思わない。がっかりするのです。そのときは美人もブスも存在しないから。そういう目で見ると、皆同じことです。それで私はこの人のことをすごく好きだとか、この人のことをすごく嫌いだとか言っ...
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2025年6月18日読了時間: 1分
固体と液体に分けて見る
固体と液体に分けて見る 身体を分解して部品単位でみてみるのですが、それを医学的にキメ細かくやる必要はない。「観たらこんなものがありますよ」というくらいです。 胃、大腸、小腸と口から下までセットにして、antaṃ という一言で、食べものが流れる臓器をまとめています。それから腸...
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2025年6月17日読了時間: 1分
お釈迦様の三十二の分け方
お釈迦様の三十二の分け方 不浄随観という瞑想の場合は、身体を三十二の不浄に分けるのが普通です。その場合は、身体を三十一に分けるリストの三十一種類に脳みそも入れるのです。 ヴィパッサナー実践の一環として不浄随観を説明するときは、三十一種類の不浄になります。このリストは別に医学...
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2025年6月16日読了時間: 1分
身体を三十一に分ける
身体を三十一に分けるリスト ‘atthi imasmiṃ kāye kesā lomā nakhā dantā taco maṃsaṃ nahāru aṭṭhi aṭṭhimiñjaṃ vakkaṃ hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ pihakaṃ...
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2025年6月15日読了時間: 1分
まさにこの身体を観察する
まさにこの身体を観察する 主観的な感情や価値観を一切捨てて観る必要があるので、imameva kāyaṃ(まさにこの身体を)という言葉を使っています。「自分の身体(attano kāyaṃ)」という言葉さえも使っていないのです。自分の、という一言があっただけでも、感情が湧き...
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2025年6月14日読了時間: 2分
主観を離れて客観的に身体を観る
主観を離れて客観的に身体を観る 6 ‘‘Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu imameva kāyaṃ uddhaṃ pādatalā, adho kesamatthakā, tacapariyantaṃ pūraṃ...
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2025年6月13日読了時間: 1分
厭逆観察の部 Paṭikūlamanasikārapabbaṃ
厭逆観察の部 Paṭikūlamanasikārapabbaṃ ここまでお釈迦様が三種類の観察の仕方を語られました。この段落では、四番目の観察の仕方を紹介しています。 俗世間では、この肉体は美しいものである、という先入観で身体にアプローチします。身体を飾ったり、美しく見...
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2025年6月12日読了時間: 2分
適度の気づきが確立する
適度の気づきが確立する それから一般的な行為としてまっすぐに歩く、あるいは前に歩く、さがる、まっすぐに見る、首を回して周りを見る、そういったことを正知(承知)して観て、そのときそのときの感覚を一般論として捉えてみる。それから、その生滅です。このように現れる、このように消える...
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2025年6月11日読了時間: 1分
幅広い智慧が生まれてくる
幅広い智慧が生まれてくるsamādhi 瞑想の場合は、脳のほんの一部だけ使えばもう究極的な喜悦感が感じられます。このvipassanā の場合はそんな簡単にはできません 。瞬間瞬間の自分の行為を確認する作業には、強烈な力が必要になります。だから二十四時間体制の修行になるので...
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2025年6月10日読了時間: 1分
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