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札幌仏教塾
「これはなんとかしなくては」という気持ち
「これはなんとかしなくては」という気持ち 度疑清浄の説明をするとき、『清浄道論』で使っている医者の喩えがあります。医者が心配する心で患者を観察します。当然、病いとその原因を発見したいでしょう。しかし医者の気持ちは、それだけでしょうか? (病いの)因縁関係を知るだけでなく、なんとかしなくてはいけない、という気持ちもあるのです。それは当然、病いの因縁をなくすことです。 度疑清浄の智慧に達した修行者も、さらに観察を続けます。しかし、このとき「これはなんとかしなくては」という気持ちが必要になることでしょう。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p113】
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2月25日読了時間: 1分
少々観察の仕方を変えて、次のステージ・道非道智見清浄に進む
少々観察の仕方を変えて、次のステージ・道非道智見清浄に進む ヴィパッサナー実践が着々と成長して、四番目の度疑清浄の智慧に達したとしましょう。その時点で、すべての現象は因縁により生じる一時的なものであると発見しています。お釈迦様が教えた無常・苦・無我についても、気づいているはずです。修行する人は、その都度その都度、現れる現象を確認します。度疑清浄の智慧に達した人は、現象だけではなく、現象の因縁関係も分かっています。いくら観察作業を続けても、これがあったからこれが起きた、という因縁の公式に当てはめてしまいます。無理をしているのではありません。自然に因縁関係が観えてくるのです。そのまま因縁関係も含めて観察しても、それ以上の成長が観えなくなる可能性があります。「これ以上どうするのか? いくら観察してもすべて因縁関係で終わっているのではないのか?」という気分になることもあり得るのです。実際、これ以上どうするのか、という気分に陥る修行者たちがたくさんいます。そこで少々、観察の仕方を変えて、次のステージ・五番目の道非道智見清浄に進むようにするのです。...
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2月24日読了時間: 1分
仏道に決定する段階
仏道に決定する段階 五番目の道非道智見清浄は、理解しがたい言葉だと感じるかもしれません。言葉だけではありません。その中身もとても説明し切れないほど難しいのです。一般知識で理解できるようになんとか解説してみます。修行者の心が解脱を目指すことに最終決断するステージです。これも智慧の一つです。「解脱を決断する段階」といっても、そもそもヴィパッサナー実践を始めたときから解脱を目指していたのではないか、と思われるでしょう。俗世間的な知識で言えばそのとおりです。しかし智慧がありませんでした。仏教を論理的に理解して、納得して修行を始めただけです。もしかすると、未知なる世界に対する興味から始めた可能性もあります。そうであるならば、執着を捨てるのではなく、何かに執着するのを目的にしていたことになります。仏教は始めから、人の知識をそれほど信頼しません。知識には揺らぎがあります。信頼できるのは、真理を発見するときに現れる智慧です。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p112】
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2月23日読了時間: 1分
小預流者
小預流者 度疑清浄に達した修行者のことをcūḷa-sotāpanna 小預流者とも言います。『アビダンマッタサンガハ』テキストの註釈294 ページに出ています。 因縁法則が分かったら、世の中に蔓延している宗教・信仰・哲学などについて、未練は感じなくなります。自分は正解を知っているのです。突然、仏教に飽きて、もっと派手で楽しい信仰にでも行こうかな、という気持ちは一切起こりません。その人は、眼耳鼻舌身意に色声香味触法という対象が触れると、貪瞋痴の煩悩の流れが生まれてしまうことが気になります。因縁も知っているのに、どうして自我・自分という錯覚が未だにうろついているのか、ということも気になります。さらに集中して実践を進めて、煩悩をつくりだす自我の錯覚をなくしたい、という気持ちは揺るぎません。預流果に達するのはもう少々あとの話ですが、今も逆戻り不可能な状態になっています。預流果に達したら、逆戻り不可能な状態が確定します。
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2月22日読了時間: 1分
疑が晴れる
疑が晴れる 線形的でもあり並列で多次元的でもある因縁法則を発見すると、世に存在するすべての問題や疑問に対して答えが見つかります。皆どこで勘違いして、さまざまな哲学・宗教をつくったのか、分かるのです。因縁に依らざる現象は何もないと、これが最終的な真理であると、発見します。この智慧は度疑清浄と言います。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p110】
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2月21日読了時間: 1分
直接原因と直接の結果のみを確認する
直接原因と直接の結果のみを確認する 因縁法則は、遠い原因ばかり探す愚か者には発見できません。「最初の原因は何なのか? 最初に現れたのは宇宙ですか? 生命ですか? 最終的にはどうなるのか?」などなどを考える人々は、無知のままで留まります。疑が濃くなるばかりで、薄くなることは決してありません。悩みは増えるだけで、減りません。ヴィパッサナー実践者は、直接原因と直接の結果のみを確認するのです。「今、痛みがある。嫌な気持ちが生じる」という確認で充分です。それから、自分が確認した現象とその原因は、確かなものです。曖昧ではありません。推測でもありません。確実なのです。ですから、因縁法則を発見するために、遠い原因ではなく、現象の直接原因のみを観察します。 ラベリングするという単純な作業を実行する修行者は、人間にとって想像を超えた難しい因縁法則を発見できるのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p110】
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2月20日読了時間: 1分
感覚が生じると次に渇愛
感覚が生じると次に渇愛 ここでは分かりやすくするために、痛みという例を出しただけです。修行が進んでいる人は、この時点で「感覚」とラベリングしています。「感覚」という現象が起きたら、次に、欲も怒りも期待も希望も起こり得る。Upekkhā も起こり得る。遠離も起こり得る。感覚と一緒にどのような因縁が流れているのか、ということです。ここで完全に語るお釈迦様が、「vedanā paccayā taṇhā 感覚が起きたら渇愛が生じる」と説かれるのです。渇愛は三種類に分類されているので、ラベルは一項目だけですが、中身は可能性として三つ入っています。因縁法則を線形的に説かれているのです。ですから感覚が生じると、次に渇愛です。決まっています。しかし多次元性を発見しない限り、因縁法則を理解したことになりません。 では、感覚の次に遠離が現れたとしましょう。感覚の次は渇愛なので、遠離も渇愛の一つでしょうか、という問題が起きます。渇愛が生じるために無明が必要です。修行して智慧が現れた人に限り、遠離が生じます。ですから問題はありません。「これがあるとき、あれがある」と
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2月19日読了時間: 1分
多次元にしてみれば、A の次はB
多次元にしてみれば、A の次はB 痛みが起きたら、次に「嫌」という気持ちが生じる。痛みが起きたら、心はupekkhā になることもある。痛みが起きたら、生命は痛みによって成り立っているのだと分かっているならば、遠離が起こることもある。解脱に達してしまうこともあり得る。この状況を考えると、A が起きたらB が起こるのではなく、A が起きたらB もC もD もE も起こるでしょう、何の公式もないでしょうと、勘違いするかもしれません。しかし違います。A が起きたら、B が起こるのです。ただ因縁関係は多次元的、というだけの話です。線形的にのみ観るならば、A の次にB もC もD もE も何でもあり得る。しかし多次元にしてみれば、A の次にB です。 この公式を正しいと確かめる方法もあります。それは、「Imasmiṃ asati idaṃ na hoti, imassa nirodhā idaṃ nirujjhati. これがないときは、あれもない。これが滅するときは、あれも滅する」という逆調べです。具体的に言いましょう。痛みが生じたら、「嫌」という気
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2月18日読了時間: 1分
線形的にも並列的にも多次元的にも観る
線形的にも並列的にも多次元的にも観る 因縁関係が多次元だからこそ、一切の現象は無常なのです。線形的な流れさえも正しく理解できない人間であった修行者は、この段階までくると見事に線形的にも並列的にも因縁関係を観ていますし、また多次元的にも観ているのです。修行する本人には、すごいことをやっているのだ、という気持ちはないかもしれませんが、智慧が開発されています。一般人と同じ、ものごとを一側面でしか見ない悪い癖が治っているのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p108】
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2月17日読了時間: 1分
ただ「痛み」と確認すると心にupekkhā が生じる
ただ「痛み」と確認すると心にupekkhā が生じる では修行が進んで、肉体にあるのはほとんど痛みの感覚だと分かったとしましょう。痛みに腹をたてるのはバカらしいと分かったとしましょう。痛みがあるからこそ、皆、必死で生きようと(痛みを避けることが生きることなのです)しているのだと分かったとしましょう。痛みであろうが何であろうが、瞬間的な出来事であると分かったとしましょう。たくさんの因縁の流れが、今度は変わったのです。そこで痛みが生じます。ただ、「痛み」と確認します。心を観ます。このときは「嫌」という気持ちが起きていません。心に「そんなのは当たり前だ」という気持ち、要するにupekkhā が生じているのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p108】
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2月16日読了時間: 1分
感覚に対して結果が生まれる因縁関係は多次元
感覚に対して結果が生まれる因縁関係は多次元 修行中、痛みを感じます。そこで「痛み」と確認します。集中力が上がったら、痛みを確認して、それから心の変化も確認します。痛みが生じると同時に、心に「嫌」という気持ちも生まれる。ここまで進んだ修行者は、「嫌な気持ち」とは確認しません。現象に対する心の反発なので、「怒り」と確認するのです。では、痛みを感じるたびに怒りが生じるのでしょうか? 決してそうではありません。しかし、A があるとき、B が起こるでしょう。多次元因縁法則で調べてみましょう。最初の頃に生まれた痛みの感覚に対して、嫌という結果が生まれました。それに別な因縁の流れがいくつか入っているのです。自分はこうなってほしい、こうなってほしくない、という希望の流れ。瞑想すると喜悦感を感じるだろう、という先入観の流れ。現象に対してどのようにアプローチするのか、というその個人が長いあいだ経験してきた習慣の流れ。自我愛はどの程度か、という自分なる存在に対する評価の流れ。今回、瞑想に入るとき、心にあった気持ち的な流れ(例えば、瞑想する気分ではなかったのに、やらな
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2月15日読了時間: 2分
これがあるときあれがあり、これが生じるときあれが生じる
これがあるときあれがあり、これが生じるときあれが生じる 「A が起きたらB が起こる」。この言葉は、お釈迦様が「Imasmiṃ sati idaṃ hoti, imassa uppādā idaṃ uppajjati. これがあるとき、あれがあり、これが生じるとき、あれが生じる」と説かれているものです。ここで問題が起こるかもしれません。A が起きたらB が起きる、というのが公式だとするならば、現象の流れは決まっているのではないのか、かたく固定していてそれ以上の変化は不可能ではないか、という疑問です。これは、因と果の関係が、線形的な流れのみであると考えるなら、無理もない疑問です。しかし因縁関係は多次元で起こるものです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p107】
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2月14日読了時間: 1分
いい加減でも突然でも原因なしでもない
いい加減でも突然でも原因なしでもない 指導する人々は、「直接原因と直接結果を確認するように」と、アドヴァイスしています。これを実践すると、何を発見するのでしょうか。すべての現象は、瞬間で消える無常なるものですが、現象はいい加減に無作為的に起こるのではありません。突然起こるものでもありません。原因なしに起こるものでもありません。決まったパターンがあって、変化していくのです。この決まったパターンとは、公式的にいうと因縁法則なのです。身体の変化、感覚の変化、心の変化、感情(煩悩)の変化も、同じパターンでラベリングします。今まで捏造ばかりして生きてきた、幻覚的な世界が壊れていきます。「A が起きたら次はB に決まっているのだ」という因縁法則を、さまざまな現象に当てはめて発見します。これがアビダンマ・テキストに出てくる「名色の縁(因縁)を把握すること」です。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p107】
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2月13日読了時間: 1分
膨らみ・縮みはたくさんの変化の流れ
膨らみ・縮みはたくさんの変化の流れ 具体的にいえば、「膨らみ」と確認したならば、次に「縮み」と確認せざるを得ないのです。しかし、これだけでは経験が足りません。膨らみとは、たくさんの変化の流れです。分かりやすく言うと、生・住・滅という三つのステップがあります。たくさんの現象の変化の過程で、大雑把に「膨らみ」という現象が起きます。膨らみが終わったら、たちまち「縮み」が起こるのではないのです。膨らんだ感覚はそこで消えて、瞬間停止してまったく正反対の感覚の流れがじわじわとスタートするのです。このやり方で、心の変化についても実践してみます。どんな現象をラベリングしても、「A という現象が起きたらB という現象が次に起きます」という公式を発見できます。 【アルボムッレ・ スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p107】
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2月12日読了時間: 1分
現象が「原因と結果」という関係に観えてくる
現象が「原因と結果」という関係に観えてくる 次に、ラベリングする現象が「原因と結果」という関係に観えてきます。現象はいい加減に、無作為的に起こるものではありません。「先が分からない」という言葉は一般的に言いますが、実は何か法則があるようです。先が分からないのは、途切れることなく継続する時間の流れを無視したときだけです。今の自分の生き方が一年後どうなるのかと妄想しても、決して分かったものではありません。それは予測できるものではありません。あいだの時間を無視しているからです。 初心者レベルのヴィパッサナー実践者の経験から説明しましょう。まず「左足、上げます」と実況中継するとします。そのときには、その人が次にやるべきことは決まっています。それは、「左足を運びます」です。その次の瞬間はもうお分かりでしょう。「左足を下ろします」です。面白いことに、一つの現象が現れたら、次の現象はほとんど分かったものになるのです。このやり方を、集中力が上がるたびさまざまな現象に当てはめてみなくてはなりません。そのような経験を増やしていくと、A という現象が生じたら、次にB
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2月11日読了時間: 2分
現象がnāma とrūpa という二つのカテゴリーに収まっていくのが見清浄
現象がnāma とrūpa という二つのカテゴリーに収まっていくのが見清浄 ここで修行者は、すべての現象をnāma とrūpaに分離して観ることになります。わざわざそうしなくてはいけない、という妄想を活かして無理にやっているのではなく、自然にnāma とrūpa に分離することになるのです。集中力が上がれば上がるほど、ラベリングをするべき現象の種類が少なくなっていきます。集中力が上がると同時に、現象の種類も増えていくなら、これ以上はできない、という能力の壁にぶつかります。ヴィパッサナーでは、このような問題は起きません。集中力があると、多数多種類だった現象が、nāma とrūpa という二つのカテゴリーに収まっていくのです。集中力は壊れることなく、実践が着々と進みます。このあたりまで進むと、見清浄という智慧が現れています。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p106】
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2月10日読了時間: 1分
身体の次に感覚、その次に心の変化
身体の次に感覚、その次に心の変化 修行者には大変な仕事が現れてきます。まず、身体の動きを確認しなくてはいけない。それはできるようになりました。次に、感覚の変化も確認しなくてはならない。最初は多種類の感覚があるように思われて、やる気まで失うかもしれませんが、実際にやってみると感覚の種類はそれほどないと発見します。修行者を助けるために、お釈迦様が感覚を苦・楽・不苦不楽という三つに分けています。これを発見すれば、感覚の変化に際しても、ラベリング上手になります。その次に出てくる仕事は、心の変化をラベリングすることです。最初はお手上げです。あまりにも速いのです。しかし、ラベリングしなくてはいけません。この作業もスムーズに進むように、お釈迦様が助けてくれます。心に対してどのように気づきを実践するべきか、具体的に説かれています。必要なラベリングは何か、お釈迦様が教えているのです(『念処経』の心隋観の部を参考にしてください)。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p105】
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2月9日読了時間: 1分
感覚の変化だけではなく、一緒に心も変化して流れる
感覚の変化だけではなく、一緒に心も変化して流れる 瞑想の敵は、雑念・思考・妄想です。それが入ると、確認作業はできなくなります。修行者はギリギリまで、雑念・思考・妄想が現れないように努力します。雑念の割り込みが少なくなればなるほど、感覚変化がくっきりと分かってきます。そこまでできたら、さらに集中力を上げて明確にラベリングしなくてはいけません。思考・妄想の割り込みが、さらに減るように精進しなくてはいけないのです。そのときは、感覚の変化だけではなく、一緒に心も変化して流れることが観えてきます。心の変化も言葉で確認しなくてはいけません。とはいっても、実際にやってみると、言葉で確認できないほど速く心が変化するということを発見します。それでも言葉で確認することを推薦します。なぜかというと、現象がいくら速く起きても、ラベリングしようとすると雑念・妄想に割り込む隙間がなくなるからです。修行者が、「雑念が出てこない」と思ってしまうほど、雑念・妄想の割り込みが少なくなるのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p10
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2月8日読了時間: 1分
直前と直後の因縁
直前と直後の因縁 ヴィパッサナー実践とは、今の瞬間の身体の感覚を確認することから始まります。「今の瞬間」というのは理解しがたいので、歩く・立つ・座る、という三つの行動をおこないつつ、そのときの身体の動きを確認します。確認作業を失敗なくおこなうために、「実況中継する」というやり方を取り入れたのです。別な言葉でいえば、感覚にラベリングします。そこまではみなさん方もよく知っています。 ラベリングはふだんおこなわないことですから、慣れるまでには時間がかかります。慣れてきたら、身体の動きを確認するときは、身体の感覚変化も明確に分かってきます。それから感覚をラベリングすることにするのです。例えば「左足を上げます」とラベリングする場合は、修行者の集中力は上がる左足の感覚変化につくのです。足を上げる、運ぶ、降ろす、とは物質の動きなので、結構遅く起こります。しかし集中力が感覚についたら、感覚の変化は確認できそうもない速さで起こることを発見するでしょう。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p104
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2月7日読了時間: 1分
苦を乗り越えるための因縁関係なら発見できる
苦を乗り越えるための因縁関係なら発見できる 多次元的で発見しがたいという因縁関係を、私たち一般の修行者たちに発見できるものなのでしょうか? 人はすべてを知る必要はありません。自分にとって必要なもの、欠かせないものを知れば充分です。人は生きる苦しみを乗り越えなくてはいけません。そのために智慧を開発しなくてはいけないのです。智慧は順番に現れるものです。苦を乗り越えるために欠かせない因縁関係なら、発見できます。宇宙はどう現れたのか、どのように、いつ消えるのか、などは管轄外の話です。私の苦しみはなぜ生まれるのか、その苦しみはどのようにすればなくせるのか、ということが自分にとっては何よりも大切な問題です。これからそれに関わる因縁関係の発見の仕方を説明します。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p104】
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2月6日読了時間: 1分
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