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札幌仏教塾
不浄観は欠かせない修行です
不浄観は欠かせない修行です ここでは疑問が生じると思います。どのようにして、自分の腎臓・心臓・肺臓・肝臓・腸・胃物などを観察するのか、という問題です。当然これは無理です。しかし無理だからやらなくてもいい、ということにはなりません。自分の髪の毛、身体の毛、爪、歯などの観察はで...
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6月22日読了時間: 2分
不浄の観察の仕方
不浄の観察の仕方は、それで終わります。次に、他の身を観察する瞑想も、同じやり方で瞑想を続けるのです。内の身体を観察する(自分の身体)、外の身体を観察する(他人の身体)、自分と他人という区別なく一般的な立場で身体を観察する。それから、身体が生起すること、消えていくことを観察す...
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6月21日読了時間: 1分
ものごとを「観る」
ものごとを「観る」 両方に口のある袋が、種々の穀物に満ちているのを観察するように身体のなかを観たら、この肉体を構成している三十一種類の不浄が簡単に見られます。ヴィパッサナー瞑想の場合は、ものごとを「観る」だけです。観るものについて、考察したり、議論したりする必要はありません...
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6月20日読了時間: 1分
例えで説明
両方に口のある袋 ‘‘Seyyathāpi, bhikkhave, ubhatomukhā putoḷi pūrā nānāvihitassa dhaññassa, seyyathidaṃ –sālīnaṃ vīhīnaṃ muggānaṃ māsānaṃ tilānaṃ...
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6月19日読了時間: 2分
身体に好き嫌いは成り立たない
身体に好き嫌いは成り立たない 皆さん、身体を分解して部品単位で観たら、身体がきれいなものだとは思わない。がっかりするのです。そのときは美人もブスも存在しないから。そういう目で見ると、皆同じことです。それで私はこの人のことをすごく好きだとか、この人のことをすごく嫌いだとか言っ...
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6月18日読了時間: 1分
固体と液体に分けて見る
固体と液体に分けて見る 身体を分解して部品単位でみてみるのですが、それを医学的にキメ細かくやる必要はない。「観たらこんなものがありますよ」というくらいです。 胃、大腸、小腸と口から下までセットにして、antaṃ という一言で、食べものが流れる臓器をまとめています。それから腸...
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6月17日読了時間: 1分
お釈迦様の三十二の分け方
お釈迦様の三十二の分け方 不浄随観という瞑想の場合は、身体を三十二の不浄に分けるのが普通です。その場合は、身体を三十一に分けるリストの三十一種類に脳みそも入れるのです。 ヴィパッサナー実践の一環として不浄随観を説明するときは、三十一種類の不浄になります。このリストは別に医学...
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6月16日読了時間: 1分
身体を三十一に分ける
身体を三十一に分けるリスト ‘atthi imasmiṃ kāye kesā lomā nakhā dantā taco maṃsaṃ nahāru aṭṭhi aṭṭhimiñjaṃ vakkaṃ hadayaṃ yakanaṃ kilomakaṃ pihakaṃ...
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6月15日読了時間: 1分
まさにこの身体を観察する
まさにこの身体を観察する 主観的な感情や価値観を一切捨てて観る必要があるので、imameva kāyaṃ(まさにこの身体を)という言葉を使っています。「自分の身体(attano kāyaṃ)」という言葉さえも使っていないのです。自分の、という一言があっただけでも、感情が湧き...
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6月14日読了時間: 2分
主観を離れて客観的に身体を観る
主観を離れて客観的に身体を観る 6 ‘‘Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu imameva kāyaṃ uddhaṃ pādatalā, adho kesamatthakā, tacapariyantaṃ pūraṃ...
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6月13日読了時間: 1分
厭逆観察の部 Paṭikūlamanasikārapabbaṃ
厭逆観察の部 Paṭikūlamanasikārapabbaṃ ここまでお釈迦様が三種類の観察の仕方を語られました。この段落では、四番目の観察の仕方を紹介しています。 俗世間では、この肉体は美しいものである、という先入観で身体にアプローチします。身体を飾ったり、美しく見...
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6月12日読了時間: 2分
適度の気づきが確立する
適度の気づきが確立する それから一般的な行為としてまっすぐに歩く、あるいは前に歩く、さがる、まっすぐに見る、首を回して周りを見る、そういったことを正知(承知)して観て、そのときそのときの感覚を一般論として捉えてみる。それから、その生滅です。このように現れる、このように消える...
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6月11日読了時間: 1分
幅広い智慧が生まれてくる
幅広い智慧が生まれてくるsamādhi 瞑想の場合は、脳のほんの一部だけ使えばもう究極的な喜悦感が感じられます。このvipassanā の場合はそんな簡単にはできません 。瞬間瞬間の自分の行為を確認する作業には、強烈な力が必要になります。だから二十四時間体制の修行になるので...
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6月10日読了時間: 1分
二十四時間体制で全ての動きが観える
二十四時間体制で全ての動きが観える 正知の実践で集中力が生まれると説明しました。Samādhi 瞑想からも集中力が生まれます。Samādhi 瞑想は集中力を上げることを目的にしています。しかし、sati の瞑想から起こる集中力と、samādhi...
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6月9日読了時間: 1分
勉強が完了してなかったが、試験は合格
勉強が完了してなかったが、試験は合格 それからasite pīte khāyite sāyite 食べるにも飲むにも噛むにも味わうにもsampajānakārī hoti 正知を持って行動します。Uccārapassāvakamme sampajānakārī hoti...
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6月8日読了時間: 1分
衣を纏うとき、鉢を持つとき
衣を纏うとき、鉢を持つとき Saṅghāṭipattacīvaradhāraṇe という言葉を分析しましょう。お釈迦様の説法の相手は比丘達ですから、「衣を纏うとき、鉢を持つとき、気づいて行なってください」という意味になります。Saṅghāṭi...
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6月7日読了時間: 1分
「正知」して「承知」すること
「正知」して「承知」すること 目で何かを見るならば、まっすぐ見るときも、首を回しながら見るときでも、きちんと確認して、sampajāna・正知しながら見るのです。日本語でショウチという場合、正知と承知と、二通りの字があります。この場合、どちらのショウチでもいいのです。Sam...
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6月6日読了時間: 1分
Sati の実践とsamādhi 瞑想
Sati の実践とsamādhi 瞑想 Sati の実践は、samādhi 瞑想とは違います。Samādhi 瞑想を実践するときは、呼吸などの何か一つの対象に徹底的に集中すれば良いのです。Sati の実践と比較してみると、samādhi...
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6月5日読了時間: 1分
集中力と智慧の関係
集中力と智慧の関係 集中するだけで智慧は生まれません。貪瞋痴の感情をかき回すものにも簡単に集中できます。映画・音楽などに夢中になるためには、何の訓練も要りません。好きなことをやり続けるためには、特別な訓練も修行も要りません。何かに夢中になるとは、いたって簡単にできることです...
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6月4日読了時間: 1分
安心で良いものに集中
安心で良いものに集中 楽しむために、食べ物・服装・芸術・旅行・趣味などに頼る道は危険です。興味を失ったら、乗れなくなります。楽しみがなくなるのです。他の頼るもの・乗れるものを探さなくてはいけなくなるのです。実際の楽しみは集中力によって生まれるのだと理解したほうが安心です。そ...
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6月3日読了時間: 1分
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