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札幌仏教塾
集中力(気づき)を前面に置く
集中力(気づき)を前面に置く 正しく坐って身体はまっすぐにしてから、集中力(気づき)を前面に置く(parimukhaṃ satiṃ)のです。註釈書には、鼻の先に集中することだと記してあります。鼻が長い人は鼻の先、鼻が短い人の場合は空気が上唇に触れるので、そちらに集中するので...
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5月5日読了時間: 1分
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椅子は禁止でしょうか
椅子は禁止でしょうか 椅子に坐るなかれとは、どこにも書いてありません。『清浄道論』では、呼吸瞑想を紹介するところで、腰掛けを使って坐りなさい、とあります。腰掛けとは、椅子のことです。なぜ経典から逸脱したのかとよく分かりませんが、その考えにも理由があります。清浄道論にあるのは...
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5月4日読了時間: 1分
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足を組んで坐る
足を組んで坐る 呼吸瞑想するときは、足を組むことは文化的な習慣でもないような気がします。足を組んで坐る人は、坐るためには自分の身体の力を使わなくてはいけないのです。身体の筋肉と神経が仕事をしなくてはいけないのです。ということは、ある程度で身体が活動状態なのです。足を組んで坐...
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5月3日読了時間: 1分
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瞑想に適した場所
瞑想に適した場所 Idha, bhikkhave, bhikkhu araññagato vā rukkhamūlagato vā suññāgāragato vā nisīdati, pallaṅkaṃ ābhujitvā, ujuṃ kāyaṃ paṇidhāya,...
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5月2日読了時間: 1分
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無智への道
修行として気づきの実践をする場合は、価値観を基準にしてはならないのです。心に怒りが生まれたら、怒りが起きた、と気づくのです。しかし、「怒りは嫌だ、怒るのは当然だ、心を清らかにしようとしたところで怒りが起きたので私はだめな人間だ」などなどの価値観は絶対禁止です。気づきを実践す...
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5月1日読了時間: 1分
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価値観は真理の敵
Sati の実践に入らない、関係がない対象は一つもないのです。気づきの実践で、全ての現象の本来の性質を発見できるのです。智慧が現れるのです。この観察方法は、普通の人々の観察方法とは違います。普通の世界の観察には、価値観は欠かせない条件です。価値がなければ観察しないのです。価...
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4月30日読了時間: 1分
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私を知ることを智慧と言う
身・受・心・法の四つを観ると私たちに何が分かるのでしょうか。この身体、身体の感覚、そして心、という三つは、私と名付けられる全てです。その三つを観察することは、私を発見することになるのです。主観的・偏見的な観察と違って、客観的な観察なので、私とは何かと、ありのままの事実として...
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4月29日読了時間: 1分
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全ての現象に目覚める
理論的には、一切の現象に気づかなくてはいけない、ということになります。始めから無理な話です。お釈迦様が一切の現象を四つの項目に分けます。その項目は、身・受・心・法なのです。この四つに一切の現象が入るのです。人間の認識順序から言うと、まず自分がいることに気づきます。それから、...
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4月28日読了時間: 1分
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ありのままに観察する
人が「私は西洋人が好きです。アジア人が嫌いです」と言ったとしましょう。それはその人の主観で、好き嫌いで、偏見なのです。西洋人が良い人間で、アジア人が悪人だということにはならないのです。このような態度を取ると、西洋人はどんな人間か分からなくなりますし、アジア人もどんな人間か分...
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4月27日読了時間: 1分
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ものごとに目覚める
これで四つの項目について気づくべきだと、説かれたのです。この四つの項目は、大念処経の骨格です。気づきがメインテーマです。一般人は何にも気づかないで生きている存在でしょうか。それはあり得ない話なのです。私たちも、色んなことに気づいて生きているのです。しかし、それがなぜ修行にな...
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4月27日読了時間: 1分
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心・法の随観
citte cittаnupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassam, dhammesu dhammānupassī viharati ātāpī sampajāno...
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4月25日読了時間: 1分
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「受・心・法の随観」のあらまし
Vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādomanassam,もろもろの受において受を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念を...
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4月24日読了時間: 1分
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俗世間の生き方
お釈迦様が仰った通りに、身体の動きを客観的に、正知をそなえて観察すると、心には憂い悲しみなどが起こるはずもないのです。このフレーズに loke という言葉があります。「俗世間に対する」という意味です。俗世間の生き方では、必ず欲、怒り、憂い、悲しみなどが起こるのです。お釈迦様...
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4月23日読了時間: 1分
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効果
Vineyya loke abhijjhādomanassamの意味は「世界における貪欲と憂いを除いて住みます」です。このフレーズも解説する必要があります。身体の動きに気づいて観察すると、その人に他のことを考える余裕はないのです。過去や将来のことを考えて心配したり、妄想にふ...
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4月22日読了時間: 1分
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正知
Sampajāno の意味は「正知をそなえ」です。たくさんのことを同時にやろうとすると、一つもまともにやったことにはならないのです。全て中途半端なのです。ものごとの理解能力がなくなるのです。何も理解せず、何も発見できず、充分に生きてきました、という実感はなく、人は老いて死ぬ...
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4月21日読了時間: 1分
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ブッダのことば
Idha, bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ,比丘たちよ、ここに比丘は、身において身を観つづけ、熱心に、「正...
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4月20日読了時間: 1分
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身体の動きに気づく
yadidaṃ cattāro satipaṭṭhānā.‘‘Katame cattāro? すなわち、それは四念処です。 四とは何か。Cattāro satipaṭṭhānā と説かれているので、気づきは四種類になります。気づきとは、みな毎日やっていることではないかと思わ...
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4月19日読了時間: 1分
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道には目的がなければいけない
そこで次に、サティ (sati) の実践によって「nibbānassa sacchikiriyā 涅槃を体得・体験する」という、達すべき目的を示しているのです。現代人は「瞑想すれば精神的に落ち着きます。集中力が上がります。ストレスがなくなります。それで仕事がはかどります」と...
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4月18日読了時間: 1分
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群盲象を撫でる
生まれつき目が見えない人々の前に、象を連れてきて、「象とはどんな生き物かと説明してくれ」と、その人々に頼みます。身体を触った人にとって、象は山のような存在です。尾っぽを触った人には、ホウキのような存在です。足を撫でた人からすれば臼のような存在です。耳を撫でた人は脱穀に使う箕...
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4月17日読了時間: 1分
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疑は無数の哲学・宗教をつくる
「今日は何曜日ですか?」という問いの答えは決まっているのです。もし人が、今日は何曜日ですか、と明確に知っているぐらい、「生きるとは何か?」という問いに答えを見つけた場合は、一切の疑がたちまち消えてしまうので当然のことです。...
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4月16日読了時間: 1分
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