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札幌仏教塾
絶えず変化し続ける感覚の仕業
絶えず変化し続ける感覚の仕業 見たり聴いたり感じたりするときは、「私は見ている」「私は聴いている」「私は感じている」という解釈になります。そこに「私がいる」という実感が割り込んでいるのです。簡単に考えれば、もし感覚がなければ、何も感じないはずです。それなら、自分がいる、とい...
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8月19日読了時間: 2分
感覚が自我意識にすりかわる
感覚が自我意識にすりかわる 感覚について少々理解したほうが良いと思われますので、経典解説から脱線することを覚悟の上で説明します。「自我がない」と人に言われると、納得しないのです。遠い昔からも、人には魂があると教えられてきたのです。魂があるということは、全ての人間に、歴史的・...
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8月18日読了時間: 1分
感覚の観察はなぜ大事なのか?
感覚の観察はなぜ大事なのか? 仏教は無我を語る教えです。自我があると思うと、自分に強烈に執着するのです。生き続けたい、という気持ちになるのです。その気持ちの結果として、限りなく輪廻転生するのです。解脱に達するためには、自我意識をなくさなくてはいけないのです。これがなかなか消...
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8月17日読了時間: 1分
ただそれぐらいの感覚の世界
ただそれぐらいの感覚の世界 そうやって感覚を分けて、感覚が生まれてくることを観察する。消えていくことを観察する。それで生まれて消えて、生まれて消えていく流れを観察する。自分だけではなくて、世のなかのどこを観ても同じことなのです。 人は音楽を聴いているとき、「楽しい感覚が生ま...
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8月16日読了時間: 1分
関わりがないことで生まれる受
関わりがないことで生まれる受 だから世のなかに関わりたい人にとってだけ刑務所は苦しい場所であって、関わりたくない人にとっては、あれほどいいところはないのです。そういうことで関わりがあって生まれる受はsāmisa で、関わりがないことで生まれる受はnirāmisa...
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8月15日読了時間: 1分
社会から隔離されたら
社会から隔離されたら 世のなかで色んな仕事をしながら生活することが刺激になって楽しいと思う人にとっては、一時間、二時間でも世間から離れることはすごく苦しいのです。犯罪を起こしたり、騒動を起こしたりすることで生きている人々にとって、社会から隔離されて刑務所に入れられることは強...
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8月14日読了時間: 2分
対象に依存しない感覚の本当の意味
対象に依存しない感覚の本当の意味 厳密なnirāmisa の意味は、依存しないときの感覚ということです。音を聴いているときの感覚と、聴かないときの感覚。ものを見るときの感覚と、ものを見ないときの感覚、ということなのです。それも結局いいかげんなものです。自分が「それは非苦非楽...
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8月13日読了時間: 1分
瞬間のいいかげんな感覚に依存し振り回されている
瞬間のいいかげんな感覚に依存し振り回されている 「リンゴはおいしい」といっても、本当に客観性をもって食べてみてください。あるときはおいしくて、あるときは全然おいしくない。食べたくもないほど嫌という場合もあるはずなのです。どんなものにもそういうことはある。コーヒーや日本茶、紅...
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8月12日読了時間: 2分
人は音楽をきちんと観察していない
人は音楽をきちんと観察していない この苦・楽・非苦非楽というのは、いいかげんな感覚で、しっかりしていないのです。音が入ってきて楽が生まれたなら、次に音が入ってもまた楽が生まれるというなら、数学的で正しいのです。「ある特定の音が入った。ある楽しい感覚が生まれた」というならば、...
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8月11日読了時間: 2分
音がなくなったら生まれる感覚
音がなくなったら生まれる感覚 音が入ると、きれいな音だ、うるさい音だ、云々と色んな感覚が生まれてきます。音がなくなったら、そこで生まれる感覚はnirāmisa です。だから論理的に言えば、食べて「楽」を感じている人から、食事を取り上げてしまったら、確実に苦しくなるでしょう。...
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8月10日読了時間: 1分
対象に依存しないことで生まれる感覚
対象に依存しないことで生まれる感受 Nirāmisa はsāmisa の反対で、何かに依存しないで生まれる感覚です。何かに依存しないで生まれる感覚も、苦と楽と非苦非楽の三つに分けています。耳に色んな音が入ってくると、色んな楽・苦・非苦非楽が生まれてきます。そこで音が止まった...
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8月9日読了時間: 1分
依存している
依存している Sāmisa というのは、原因があって生まれてくる感覚なのです。いわゆる対象があるのです。目を開けて何かを見る。すると「楽しい」と感じる。なぜ楽しみが生まれたのでしょうか。「目で何かを見た」からなのです。だから、いまの自分の楽しみは、自分の目と見えた対象に依存...
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8月8日読了時間: 2分
対象に依存して生まれる感受
対象に依存して生まれる感受 Sāmisaṃ vā sukhaṃ vedanaṃ vedayamāno ‘sāmisaṃ sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Nirāmisaṃ vā sukhaṃ vedanaṃ vedayamāno...
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8月7日読了時間: 1分
身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る
身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る 受というのは身体の感覚です。その身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観るのです。一つめは、sukhaṃ vedanaṃ「楽」楽しい感覚(気持ち)です。その感覚(気持ち)が身体に生まれたら、「いまは楽しい感覚です」と確認します。次にd...
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8月6日読了時間: 1分
苦・楽・非苦非楽を観る
9 ‘‘Kathañca pana, bhikkhave, bhikkhu vedanāsu vedanānupassī viharati? Idha, bhikkhave, bhikkhu sukhaṃ vā vedanaṃ vedayamāno ‘sukhaṃ...
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8月6日読了時間: 1分
骸骨が動いている
骸骨が動いている この死体の観察瞑想に関して、あるエピソードがあります。ある女の子がお嫁に行ったところで、旦那と喧嘩して「実家に帰ります」と森のなかの道を帰ってしまった。 この女が駆け込んだ森では、あるお坊さんが九つある死体の瞑想のなかから、骨だけを取って「もう皆、骨だけで...
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8月5日読了時間: 2分
観方が変われば瞑想は成功
観方が変われば瞑想は成功 身の随観に出てきた九つの死体の観察瞑想にしても、普通の人間が全然観ようとしない角度で観ているのです。普通の人間が観る角度で観たら、いっこうに覚らないし、いっこうに智慧が生まれてこないのです。普通の人々が生きているのは「価値の世界」、つまり無智の世界...
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8月4日読了時間: 1分
客観的に現実を観る
客観的に現実を観る それなら客観的に現実を観ることです。どんなものでも瞬間・瞬間、変化して新しいものに変わっていくのです。古いものはいまあるわけではありません。千年も前のものを、いま見ることは不可能なのです。いま見ているのはいまあるものなのです。これは、千年前から、千年間ず...
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8月3日読了時間: 1分
水の上に書いた線
水の上に書いた線 例えば何でも水の上に書いた線のように消えてしまいますよと。水の上に書いた文字のごとくもう書くと同時に消えていきますから。そのように全ては瞬間・瞬間、無常ですと言っても、愚か者どもたちは「やっぱり地球はずうっとあるのではないか」とか、「人が死んでも歴史的な文...
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8月2日読了時間: 1分
無常が分かれば「価値観」の苦しみが消える
無常が分かれば「価値観」の苦しみが消える 愚か者たる私たちは、「全て無常である」という真理を否定して苦しんでいます。その否定したがる気持ちをお釈迦様は「渇愛」と言っています。だから、渇愛さえ消してしまえば、それで全て解決する、簡単・単純ではないか、という教えになるのです。そ...
sapporobukkyoujuku
8月1日読了時間: 1分
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