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札幌仏教塾
35 エゴイストは法則違反
考えてみてください。自分が生きるために必要なすべてのものは、他人が与えたものです。自分の金で買ったのだと自慢できません。金も買う品物も他人からいただいたものです。人は一文無し、裸で生まれるものです。それからどうですか? つぶされるほどの物にあふれて生きているのではないでしょ...
sapporobukkyoujuku
2024年11月11日読了時間: 1分
34 人間は本来、エゴイストである
一般的に、女性は自分が産んだ子供のことを無条件で愛していると言うでしょう? でも、それは、子供がすごくかわいいときに限られるのです。子供がまったく言うことを聞かないわ、お母さんが触っただけでもギャーと泣いたりするわ、もう管理できなくなると嫌になってしまいます。嫌になって子育...
sapporobukkyoujuku
2024年11月10日読了時間: 1分
33 ナショナリズムという病
ナショナリズムは無智な欲です。愛国心という糖衣で欲を隠しているのです。昔から「自分の国や民族が優れている」という病気があるのです。その病に侵されている国に体力も財力もあったら、他国を制覇しようと殺しに行くのです。支配欲にも限りがありません。愛国心も、すべてに生きる権利がある...
sapporobukkyoujuku
2024年11月9日読了時間: 1分
32 理性で欲という森から抜け出す
人は幸福を目指して生きるものです。しかし、欲にはめられたら進まなくなります。欲は迷路なのです。樹海なのです。「少欲知足」を実行すると、欲の迷路から抜けられます。感情に負ける人には、少欲知足ができません。生きるとは何かと理解する人に理性が現れて、少欲知足を実行することができま...
sapporobukkyoujuku
2024年11月8日読了時間: 1分
31 ニーズが少ないこと、不満を感しないこと
「ニーズ」というのは、生きるために必要不可欠なものに近寄ることです。あるものを捨てるのではなく、必要不可欠と余分という二つに、欲の対象を分けてみるのです。欲を「ニーズ」と「余分」に区別して生きる人に、「知足」という満足感が生じます。欲があっても楽しく生きられます。「知足...
sapporobukkyoujuku
2024年11月7日読了時間: 1分
30 欲を捨てるのは難しい
欲を捨てるというのは、そんなに簡単なことではないのです。「欲を捨てた」と思っていても、「ここにケーキが四つ並んでいます。どれか一つ食べてください」と言われたら、その中で一番食べたいものを選ぶでしょう? 何が一番まずいか考えて、「じゃ、これにします」と言う人はいないでしょう。...
sapporobukkyoujuku
2024年11月6日読了時間: 1分
29 「ニーズが少ない」と楽
「少欲」というのは、「欲が少ない」ではなくて「ニーズが少ない」ことです。ニーズが少ないというのは楽で楽で、楽しくてたまらないことなのです。「ニーズが少ないと楽」とは、具体的にどういうことでしょうか? 現代人は特別すごく贅沢に生きていて、皆さんには好きなブランドがあったり、好...
sapporobukkyoujuku
2024年11月6日読了時間: 1分
28 余計な欲をやめる
お釈迦様は、心に清らかな思考を入れ替える順番を説かれています。まずは、余計な怒り、余計な欲をやめることです。「余計」がポイントです。日常起こる常識的な欲、怒りではなく、常識を超える欲、怒りです。欲、怒り、嫉妬、恨みなどがたとえ心にあっても、常識範囲を超えてはいけないのです。...
sapporobukkyoujuku
2024年11月4日読了時間: 1分
27 欲を妄想で養うと精神が壊れる
現代人は、実にいろいろな贅沢を知っています。おいしいもの、楽しいこともそうですし、洗濯も掃除も機械おまかせで、楽ができます。あまりにも贅沢をしてしまうと身体が衰えてしまいますね。退化します。進化しません。身体だけでなく、頭も同じです。欲をあまりにも妄想で養うと退化してイカれ...
sapporobukkyoujuku
2024年11月3日読了時間: 1分
26 ケチも煩悩である
やたらと使いすぎたり「欲しい、欲しい」と思うのが悪いということはわかりやすいと思いますが、「あるのに使わない」というのもとんでもないことです。必要なものがそろっているのにそれを使わないことを、「ケチ」といいます。お金の余裕があるのなら、それなりの生き方をしなくてはいけません...
sapporobukkyoujuku
2024年11月2日読了時間: 1分
25 身体偏重の現代社会
現代社会は、欲で心が病気になってしまう条件が見事なまでにそろっています。「生きることは肉体と心の共同作業」ですが、あまりにも世の中全体が「身体」に偏っているのです。たとえば、デパートにはものすごい数の品物がありますね。カバン一つにしても、たくさんのテナントが入り、それぞれの...
sapporobukkyoujuku
2024年11月1日読了時間: 1分
24 欲によって、不安が生じる
欲を、心が汚染されるプロセスとしても見ることができます。順番に見ていきましょう。欲があると、欲しいものが手に入ってからも心に不安が生じます。「取られるんじゃないか」「バレるんじゃないか」「殺されるんじゃないか」など、いろいろです。誰かが資産を大量に持っていても、誰にも欲がな...
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2024年10月31日読了時間: 1分
23 必要という基準で生きる
「欲しい」という感情を避けて、「必要」という基準で生きる。必要なものであれば、いとも簡単に得られます。 この世界がなぜゴチャゴチャなのかといえば、誰もが「欲しい」で生きているからです。「必要」で生きれば、世界はいつでも満たされています。仕事も、「必要」という基準でしてみてく...
sapporobukkyoujuku
2024年10月30日読了時間: 1分
22 怒るのではなく、微笑んでみる
ぜひ、このように考えましょう。「私は人生に勝ちたいのですか? 負けたいのですか? 成功 したいのですか? 失敗したいのですか?」と。答えは明確です。人生に勝ちたいのです。負けたくはないのです。成功したいのです。この希望を叶えてくれる、魔法の杖があります。何があっても、怒るの...
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2024年10月29日読了時間: 1分
21 感謝は怒りの解毒剤
感謝とは怒りに対する解毒剤の一種です。仏教が推薦する感謝は、明確で具体的なものです。食卓に夕食のごちそうがそろったら、皆単純に「いただきます」と言いますが、それはマナーにすぎません。自分が食べることだけを気にしているのです。今度はぜひ、食卓に座ったら「お母さん、ごちそうを作...
sapporobukkyoujuku
2024年10月28日読了時間: 2分
20 「私は正しい」と思うから怒る
怒らないほうがよいとわかっているのに、我々はなぜ怒るのでしょう。人間というのは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っています。それで怒るのです。「相手は正しい。私は間違っている」ということも答えではありません。事実は、私も相手も不完全です。したがって、「正しい、...
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2024年10月27日読了時間: 1分
19 怒る条件がそろっていても怒らない
みんなが自分のことを褒めているときに怒らないのは、当たり前ですね。そういうときに「私はあまり怒りません」などと偉そうなことを言うのは感心しません。条件がそろえば、すぐに怒ってしまうかもしれないのですからね。怒る条件がそろっていないときに怒らないのは、別に褒められるほどのこと...
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2024年10月26日読了時間: 1分
18 ノコギリで切られても怒らない
お釈迦さまは「たとえば、恐ろしい泥棒たちが来て、何も悪いことをしていない自分を捕まえて、『こいつを切ってみよう。面白いよ』とそれだけの理由でノコギリで切ろうとするとしよう。そのときでさえ、わずかでも『嫌だ』と怒ってはいけない。わずかでも怒ったら、あなたがたはブッダの教えを実...
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2024年10月25日読了時間: 2分
17 怒りを観ることができたら、瞬間に消える
怒りとは自分の中から生まれるものですから、解決方法は、「毒そのもの」を抜くことしかありません。ヴィパッサナー瞑想法でいう、「今の瞬間の自分に気づくこと」です。それが世の中でいちばん科学的な、怒りの毒を抜く方法なのです。最初は、「人が何かを言うと、すぐに怒ってしまう」というと...
sapporobukkyoujuku
2024年10月24日読了時間: 1分
16 自分を客観視するトレーニング
自分のことを他人のようにして見る訓練をする必要があります。仏教の観察瞑想というのは、その訓練です。特別なことはしません。ただ、自分の身体の感覚を、そのまま客観的に観ていくのです。その訓練を続けると、すぐにできるようになります。しかし、少し訓練をしないと、自分のことを他人のこ...
sapporobukkyoujuku
2024年10月23日読了時間: 1分
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