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札幌仏教塾
ラベルを貼っても生じて滅する、nāma の流れであると知る
ラベルを貼っても生じて滅する、nāma の流れであると知る これからの変化過程を普通の言葉に乗せて説明しますが、実際に修行する修行者の心の中の状況を言葉にしてそのまま説明することは不可能であると理解した方がよいです。 修行者は確認作業を続けます。現象の変化の流れに沿って、確認しようとします。できなくなると、さらに集中力を上げて観ます。自分は自分好みの、また今までやっていたとおりの言葉を頭の中で念じているかもしれません。しかし現象の変化の速さに合わせようとすると、一つの特色が際立ってくるのです。それはいかなる現象であっても、生じて消えることです。たとえ「膨らみ」と言葉のラベルを貼っても、実際そちらにあるのは瞬間瞬間、生じて滅する膨らみの流れです。Rūpa を確認するとき、そうなります。 「膨らみ」と言うためには、膨らみを感じなくてはならない。その感覚も瞬間瞬間、生じて滅する流れです。修行者はこの場合、「膨らみ」と言葉でラベルを貼っても、そこに実際起きているのは、瞬間瞬間、生じて滅する、nāma の流れであると知っているのです。...
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4月24日読了時間: 1分
知る範囲を広げて確認作業をする
知る範囲を広げて確認作業をする 喩えで説明します。台風が公園を通過しました。しっかり晴れました。しかし公園は、落ちた枝・葉っぱや飛んできたゴミで散らかっています。それは迷惑ですが、埃や汚れが洗い流されているぶん、公園は前よりきれいになっています。次の作業は、ゴミを拾って処分することです。ゴミを拾うとなると、ゴミ袋が必要です。ゴミを分別しなくてはいけません。一番便利なやり方は、すべてのゴミを一つの袋に入れるのではなく、分別する項目に合わせてゴミ袋の数を増やすことです。四種類に分別するならば、ゴミ袋は四枚。五種類に分別するならば、ゴミ袋は五枚、という調子です。 このステージの修行者の言葉の使い方は、ゴミ袋の使い方と似ています。落ちた雑誌を拾う場合は、雑誌であることも知っているし、紙であることも知っているし、燃えるゴミか再生ゴミかも知っています。燃えるゴミなら、その袋に入れる。再生ゴミなら、再生ゴミの袋に入れる。ゴミを拾う人は、それほど苦労しないでこの難しいプロセスをおこないます。修行する人も、膨らみ、痛み、などの言葉を使っているかもしれませんが、
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4月23日読了時間: 2分
現象に言葉が追いつかない状態を処理する
現象に言葉が追いつかない状態を処理する 修行者がこれからどのように観察するのか、というプロセスを言葉で説明することはできません。今までは、「実況中継するのだ」と言い続けてきました。集中力が上がって、煩悩が睡眠状態になって、雑念が出ない状態になっています。現象が変化するスピードに合わせて、観ることができるようになっています。俗世間的な「膨らみ、縮み」などのラベルを貼ってみても、現象の変化は想像を絶する速さで起こるのだと、修行者は分かっているのです。その速さに合わせる言葉は、言語の世界に存在しません。とはいえ何か言葉のラベルを貼っておかないと、集中力と落ち着きが低下する可能性があります。智慧を開発している修行者は、現象に言葉が追いつかない状態をどのように処理すればよいのか、自分で判断する能力を持っています。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p139】
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4月22日読了時間: 1分
六番目の行道智見清浄:① 生滅智udayabbaya ñāṇa
六番目の行道智見清浄:① 生滅智udayabbaya ñāṇa 五番目の道非道智見清浄のステージでは、心の中を台風が横切っているような状態です。六番目の行道智見清浄のステージに入るときの気持ちは、台風一過の青空のようです。神秘的な体験を感じたりさまざまな心の変化を感じたりしていた修行者は、それらが何もなくなったとき、修行のレベルが落ちてしまったような錯覚にも陥りやすいものです。台風が通過しているときは、変化が分かりやすいです。そして台風が通過して晴天になったとき、環境が元に戻ったわけではありません。前よりはきれいになっているはずです。修行者は、実践が元に戻ったという気持ちを抱いてはなりません。さらに集中力を上げながら、観察作業を続けるべきです。それはそれほど難しくありません。解脱に達するべきであると、心が決定しているのです。ですから、観察を止めたくても止めることはできなくなっています。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p138】
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4月21日読了時間: 1分
六番目の行道智見清浄は八の観智(ヴィパッサナーの智慧)で成り立つ
六番目の行道智見清浄は八の観智(ヴィパッサナーの智慧)で成り立つ 六番目の行道智見清浄には進む順番があるのです。この順番は八項目で成り立ち、八の観智(ヴィパッサナーの智慧)と言います。 それにsaccānulomika ñāṇa 諦随順智(真理随順智)を足したら、ヴィパッサナーの智慧は九つになります。これをパーリ語で「nava-mahā-vipassanā-ñāṇa 九つの偉大なるヴィパッサナーの智慧」と言います。ここまでは六番目の行道智見清浄です。それにもう一つ、智慧を足します。修行者が聖者として生まれ変わる瞬間のことです。Gotrabhū ñāṇa 種姓智と言います。それでヴィパッサナーの智慧は十種類になります。十種類の智慧とは、① 生滅智、② 壊滅智、③ 怖畏智、④ 過患智、⑤ 厭離智、⑥ 脱欲智、⑦ 省察智、⑧ 行捨智、⑨ 諦随順智、⑩ 種姓智です。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p138】
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4月20日読了時間: 1分
六番目の行道智見清浄のステージ
六番目の行道智見清浄のステージ 花を買った人が、それを活けることにする。精神を成長させた修行者が、精神を整理整頓して修行を続けることに決める。これからのステージは六番目の行道智見清浄になります。 花を活けるときも、けっこう技術が必要です。ただ花瓶に入れただけでは、うまくいきません。プロの華道家なら、見事にその花を整理整頓して順番に、また、ものの見事な速さで、花を活けていきます。人の心を驚かせる素晴らしい作品に仕上げるのです。修行者も似たようなプロセスで精神を向上させていきます。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p138】
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4月19日読了時間: 1分
五番目の道非道智見清浄のステージ
五番目の道非道智見清浄のステージ この喩えをヴィパッサナー実践者の精神の変化に当てはめてみましょう。修行者は苦労しながら丹念に実践します。心の弱みがなくなったり、集中力が成長したり、気づきの実践が上手にできるようになったりします。智慧も段階的に上がっていきます。心の中に、今たくさんの財産が溜まっているような状態です。それは花屋さんで選んだ花が家のリビングに置かれているようなことです。このように、修行者にしても、能力が上がっているのになかなか落ち着かない状態があるのです。花を買った人がそれを活けましょうと決めるように、修行者もこれから精神状態を整理整頓してしっかり修行を続けましょうと決めるのです。 この決定に達するところまでが、五番目の道非道智見清浄のステージです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p137】
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4月18日読了時間: 1分
六番目の行道智見清浄というステージ
六番目の行道智見清浄というステージ 五番目の道非道智見清浄のステージは、どんな修行者にとっても混乱の多い長い戦いになります。心は成長して智慧もある程度まで成長していますが、精神的に整理されてないような状態です。喩えで言えば、人が花屋さんでたくさんの花を買ったとしましょう。それを家に配達してもらって、ひとまずリビングに置きました。その瞬間、家の美的調和が壊れます。落ち着きがなくなります。置いたのは花ですが、たくさんゴミが溜まっているような気分です。問題は何なのでしょうか。花は自分が喜んで丹念に選んで買ったものです。ゴミではありません。しかしこれから、自分の能力をふるって花を活けなくてはいけないのです。それでしっかり落ち着いて、花を活けることにするのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p137】
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4月17日読了時間: 1分
まだ未完成だ。原始脳に繋げなくてはいけないのだと大脳が発見する
まだ未完成だ。原始脳に繋げなくてはいけないのだと大脳が発見する 理性に基づいて貪瞋痴のはたらきを一時的に抑えて、計画的に大脳をはたらかせたのです。それによって、今までと違った新たな神経回路システムが現れました。それから、その神経回路を原始脳にも繋げて、配線完了しなくてはなりません。それには新たに作った神経回路を適当に切ったり張ったりして、調整しなくてはいけません。ヴィパッサナーの障碍とは、そのとき起こる現象です。実は障碍ではないのです。心が苦労して育てた能力です。しかし「それだけでは充分ではない」と理解してほしいのです。さらに、配線を原始脳まで繋げなくてはいけないのです。「まだ未完成だ。原始脳に繋げなくてはいけないのだ」と大脳が発見します。それが障碍を乗り越えたことです。このプロセスさえも、もう一つの神経回路が生まれることなのです。 この状態は、仏教心理学で五番目の道非道智見清浄に達したことであると説かれています。仏教は心の科学であって脳科学ではないので、そのような説明になります。ここでは無理をして、現代の脳科学の知識の一部を使って説明してみ
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4月16日読了時間: 1分
大脳の配線を繋げて大脳が原始脳を管理する
大脳の配線を繋げて大脳が原始脳を管理する 一つも悪いものではないのです。がんばって作った配線です。しかし「配線ができた」と満足するのは危険です。原始脳を抑えてはいますが、原始脳を制御してはいません。そこで大脳の配線は長すぎるものをカットしたり、短いものを延ばしてみたりして、原始脳に繋げなくてはいけないのです。原始脳に繋げたら、大脳が原始脳を管理することになるのです。神経回路は使わないとなくなります。そのうち原始脳の司令を受けていた神経回路が壊れてしまいます。獣の支配は終わります。それで貪瞋痴が消えます。原始脳は大人しく、生命の基本的なはたらきを監督するようになります。例えば思考・判断能力の要らない消化システム、呼吸機能、心臓の動き、などなどです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p136】
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4月15日読了時間: 1分
大脳の配線を原始脳に繋げたら、大脳が原始脳を管理する
大脳の配線を原始脳に繋げたら、大脳が原始脳を管理する このように考えてみましょう。神経細胞がIC だとします。IC がたくさんあっても、何の仕事もしません。正しく配線すると、IC は仕事をします。私たちが日常使っているパソコンなどは、IC の塊です。しかしびっしり配線されています。だから正しくはたらくのです。神経細胞の場合は、細胞から配線が伸びていって他の細胞と繋がります。ほとんどの神経細胞から配線が出ています。それを適当に繋げてみるのです。しかし長い配線もあって、短い配線もあります。このアンバランスの状態でヴィパッサナーの汚れが現れるというわけです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p135】
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4月14日読了時間: 1分
三十七菩提分法は脳の正しい配線の仕方
三十七菩提分法は脳の正しい配線の仕方 お釈迦様のプログラムは必要な配線がかならず現れるようになっています。悟りに必要な能力は、三十七菩提分法であると説かれています。それは脳の正しい配線の仕方を示す話です。修行者は必死に修行しているのです。大脳もどんどん配線をしています。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p135】
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4月13日読了時間: 1分
瞑想が進むと、惛沈睡眠が消える
瞑想が進むと、惛沈睡眠が消える 惛沈睡眠という煩悩があります。脳の成長を妨げる蓋だとも言われています。しかし常識的に見れば、健康に生き延びるためには睡眠が必要だとされます。しかし残念です。身体の細胞は寝ません。寝ることも存在欲の一つの姿です。瞑想が進むと、惛沈睡眠が消えてしまいます。それは大脳が新しい配線を作ったということです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p135】
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4月12日読了時間: 1分
脳の開発
脳の開発 お釈迦様は脳の開発方法を見つけられました。正しい配線方法を見つけたのです。目的は、理性のある、世界を知る能力のある、判断能力のある大脳を誘拐犯(原始脳)から解放することです。そのための方法を見つけたのです。 お釈迦様が説かれる道は、大脳にたくさん仕事を与えることです。その仕事は一つも、原始脳の司令と合いません。人が一度もやったことのない仕事です。それはsati 気づきの実践です。慣れた仕事をするより、慣れていない仕事をする方がたくさん仕事をしなくてはいけません。じりじりと原始脳と関係のない配線が現れてきます。それは智慧が現れることであり、ものごとをありのままに観察できるようになったことであり、感情に支配されないようになったことであって、自分でもそれがよく分かります。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p135】
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4月11日読了時間: 1分
自分で自分を洗脳する
自分で自分を洗脳する 要するに、大脳が原始脳に誘拐されているのです。大脳は誘拐犯の言うがままに行動しているのです。それで大脳の配線が現れますが、ろくな結果にはなりません。人間は獣のままです。貪瞋痴に支配されて生きています。存在欲とはかなわない希望です。したがって、恐怖感(怒り)も消えません。いくら配線しても、問題はそのままです。生涯学習しても同じことです。この状況は大脳にとって耐えがたいストレスです。死にたくないという気持ちはあっても、人は死ぬのだと大脳の方では知っています。しかし認めたくはありません。そこで誘拐犯にいくらか落ち着いてもらうために、大脳はイカサマを仕掛けます。「私が死んでも、私の魂は死にません」「死後、我々を永遠の天国に連れていく絶対的な神様がいます」などなどの妄想をつくります。これで原始脳が落ち着きます。自分で自分を洗脳するのです。証拠は一かけらもないのに、魂の存在を信じる。絶対的神様、阿弥陀様、観音様などを信じる。信じる者は救われる、とも言います。実際は信じる者が救われるのではなく、信仰という麻薬で脳が機能低下するだけです。
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4月10日読了時間: 1分
原始脳にあるのは存在欲と恐怖感
原始脳にあるのは存在欲と恐怖感 原始脳は獣の脳だとも言います。原始脳に思考能力はありません。外の世界を認識する能力もありません。原始脳にあるのは存在欲と恐怖感です。外の世界・現実を知る能力がないから、仏教的に無知・無明だとしているのです。無知・無明を土台にしているため、存在欲と恐怖感(怒り)が起こるのです。それは有名な貪瞋痴です。原始脳は生まれるとき、配線は完了しています。よくはたらきます。この獣の脳が発信する信号で、大脳がはたらきます。生きていきたいという存在欲の信号を出すのです。大脳が必死になって、生き延びるためにがんばるのです。そして、人間がおこなう勉強・研究等々、すべての作業が、生き延びるという目的のために為されます。それから原始脳は恐怖の信号を出します。大脳は必死になって、存在に邪魔なものを避ける技を身につけます。細菌の退治の仕方だけではなく、同じ人間をライバルだとみなして人を殺す道具まで開発するのです。こうして原子爆弾も現れます。科学の進歩も大量破壊兵器の開発も、大脳がやっています。文化・文明も同じことです。生き延びることと敵を倒す
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4月9日読了時間: 1分
欠かせない能力が障碍になるとは?
欠かせない能力が障碍になるとは? よく調べてみると、十種類の障碍は一つも悪くないものです。必要な能力なのです。それでも、一歩間違えれば解脱の妨げになります。この状況を脳のはたらきを用いて説明します。 普通の人々は原始脳(獣の脳)の司令で生きています。大脳を優先にした生き方をしていません。原始脳は、生まれるときには神経細胞の配線がすでに完了しています。原始脳にはこれ以上、発達はありません。対して大脳は発達しないまま・配線ができていないままの状態で人は生まれます。生まれてから長い時間をかけて大脳を配線するのです。「生涯学習」とは人気のあるフレーズです。勉強には終わりがない、死ぬまでやりなさい、という意味です。このテーマで言い換えれば、死ぬまで大脳の配線をしなくてはいけない、ということです。それでも未完成のままで死んでしまいます。しかし、大脳の配線は決して終わらない作業ではありません。大脳の神経細胞は約百四十億個と推定されています。他の神経細胞も足してみると、千〜二千億くらいになるそうです。やり方さえあれば、配線を完了することはできると仮定しておき
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4月8日読了時間: 1分
解脱に達するより他の方法はないと発見するステージ
解脱に達するより他の方法はないと発見するステージ もう一つポイントがあります。五番目の道非道智見清浄のステージに達する修行者は、徹底的にnāma-rūpa を、無常・苦・無我の特性を発見できるまで観察しなくてはいけません。『清浄道論』では、たくさんの方法が説かれています。一つの方法をやってみたところで成果がなければ、他の方法を試してみるのです。明確に無常・苦・無我を発見しない限り、その真理は知識レベルで止まってしまいます。知識レベルとは、無知がよくがんばっている状態です。要するに、無意識的に常・楽・我という前提があるのです。 修行者は「解脱に達したい」という気持ちで修行を始めたのですが、それは知識レベルの判断なので、気持ちは本物であるとは言えません。途中で諦めて、修行を止めることも大いにあり得ます。しかし無常・苦・無我を発見したならば、道は決まります。解脱に達するより他の方法はないと、発見します。ですからこれは、非道と道を区別するステージなのです。ただ障碍を乗り越えるだけではありません。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻
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4月7日読了時間: 1分
障碍を乗り越える
障碍を乗り越える ここまで十種類の障碍と、それを乗り越える方法を説明しました。ヴィパッサナー実践者に現れる障碍は、一般的に言えば超越した経験です。超越した経験に達して、それが解脱だと思ったら、非道を道だと勘違いしたことになります。ですから障碍から脱出した修行者は、五番目の道非道智見清浄に達したことになるのです。要するに、解脱に達する一本の道に本格的に入った、ということです。 では障碍が現れなかったら、どうすればよいでしょうか? いいえ、かならず現れます。ですから乗り越える技を身につける必要があります。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p132】
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4月6日読了時間: 1分
「好き」を独り立ちさせてはいけない
「好き」を独り立ちさせてはいけない 「好き」はくせものです。欲に変身しやすいのです。執着に変身しやすいのです。このステージの修行者に、欲という不善心所は起こりません。しかし執着という煩悩は起こり得ます。修行そのものを好むことに対しても、気をつけなくてはいけません。「好き」を独り立ちさせてはいけないのです。 何かを好きになると、それをやりやすくなります。勉強が好きな人は軽々と勉強します。嫌いよりは好きな方が役に立ちます。しかし「好き」という現象も一つの心所であり、感情でもあります。それは無常・苦・無我です。このように観察して、この障碍から脱出するのです。また、ヴィパッサナー実践以外、他のことにまったく興味がないという状況は、表面的にはとても良いことであると理解してしまいます。それは興味が正しい方向へ変わっただけのことであって、解脱ではありません。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p132】
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4月5日読了時間: 1分
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