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札幌仏教塾
呼吸観察の仕方
呼吸観察の仕方 Seyyathāpi, bhikkhave, dakkho bhamakāro vā bhamakārantevāsī vā dīghaṃ vā añchanto ‘dīghaṃ añchāmī’ti pajānāti, rassaṃ vā añchanto...
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5月15日読了時間: 2分
身体を落ち着けて呼吸をはっきり理解する
身体を落ち着けて呼吸をはっきり理解する 呼吸の観察によって身体全体を感じる能力が充分に育ったところで、次のステージがあります。 Passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ assasissāmī’ti sikkhati, ‘passambhayaṃ...
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5月14日読了時間: 1分
自然のままで
自然のままで 身体全体で、吸っています、吐いています、吸っています、吐いています、ということが感じられるようになります。「あ、いま長く吸っています」というと、身体全体で長く吸っていることを感じている。「あ、いま長く吐いています」というと、身体全体で長く吐いている、そのエネル...
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5月13日読了時間: 1分
ヴィパッサナー瞑想における呼吸の観方
ヴィパッサナー瞑想における呼吸の観方 この経典で説いているのは、samādhi 瞑想ではなくて、vipassanā(ヴィパッサナー)瞑想の世界です。私は自分の意見として、普通の常識的な読みとして、「身体全体」でいいのではないかと思っています。ですから、「長く吸っています」と...
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5月12日読了時間: 1分
呼吸そのものが身体
呼吸そのものが身体 身体全体と言う場合、ブッダゴーサ(Buddhaghosa)長老の〔大念処経の〕註釈では、「呼吸そのものが身体」と解釈します。すると、呼吸を全部観なさいという意味になりますが、何かちょっと納得いかない。一般的に「身体全体」ということでいいのではないか、とも...
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5月11日読了時間: 1分
身体全体を感じる呼吸
身体全体を感じる呼吸 Sabbakāyapaṭisaṃvedī assasissāmī’ti sikkhati, ‘sabbakāyapaṭisaṃvedī passasissāmī’ti sikkhati,〈私は全身を感知して入息しよう〉と学び、〈私は全身を感知して出息し...
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5月10日読了時間: 1分
身体の仕事に気づいておく
身体の仕事に気づいておく Dīghaṃvā assasanto ‘dīghaṃ assasāmī’ti pajānāti, dīghaṃ vā passasanto ‘dīghaṃ passasāmī’ti pajānāti,長く入息するときは〈私は長く入息する〉と知ります...
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5月9日読了時間: 1分
まず呼吸の感覚をよく感じ取る
まず呼吸の感覚をよく感じ取る 呼吸とは、意識的にも無意識的にもできるものです。自律神経系だけではなく、体性神経系(感覚神経と運動神経)でもできるものです。ヴィパッサナー瞑想の場合は、呼吸という身体のはたらきが起こるときも、感覚に気づくのです。それを明確に行なうために、最初は...
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5月8日読了時間: 1分
「自然な呼吸」の観察
「自然な呼吸」の観察 So satova assasati, satova passasati.かれは、念をそなえて入息し、念をそなえて出息します。 その人はsato 気づきがあって、感じながら・気づきながらassasati 吸います、sato...
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5月7日読了時間: 1分
身体の前面
身体の前面 呼吸は身体の前面に起こるはたらきです。ですから身体全体の前面を感じて、呼吸の観察を始めるのです。鼻の先に集中することになると、サマーディの呼吸瞑想になります。たいした違いはないでしょう、と思われるかもしれません。しかし、とてつもない違いなのです。前面に集中して観...
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5月6日読了時間: 1分
集中力(気づき)を前面に置く
集中力(気づき)を前面に置く 正しく坐って身体はまっすぐにしてから、集中力(気づき)を前面に置く(parimukhaṃ satiṃ)のです。註釈書には、鼻の先に集中することだと記してあります。鼻が長い人は鼻の先、鼻が短い人の場合は空気が上唇に触れるので、そちらに集中するので...
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5月5日読了時間: 1分
椅子は禁止でしょうか
椅子は禁止でしょうか 椅子に坐るなかれとは、どこにも書いてありません。『清浄道論』では、呼吸瞑想を紹介するところで、腰掛けを使って坐りなさい、とあります。腰掛けとは、椅子のことです。なぜ経典から逸脱したのかとよく分かりませんが、その考えにも理由があります。清浄道論にあるのは...
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5月4日読了時間: 1分
足を組んで坐る
足を組んで坐る 呼吸瞑想するときは、足を組むことは文化的な習慣でもないような気がします。足を組んで坐る人は、坐るためには自分の身体の力を使わなくてはいけないのです。身体の筋肉と神経が仕事をしなくてはいけないのです。ということは、ある程度で身体が活動状態なのです。足を組んで坐...
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5月3日読了時間: 1分
瞑想に適した場所
瞑想に適した場所 Idha, bhikkhave, bhikkhu araññagato vā rukkhamūlagato vā suññāgāragato vā nisīdati, pallaṅkaṃ ābhujitvā, ujuṃ kāyaṃ paṇidhāya,...
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5月2日読了時間: 1分
無智への道
修行として気づきの実践をする場合は、価値観を基準にしてはならないのです。心に怒りが生まれたら、怒りが起きた、と気づくのです。しかし、「怒りは嫌だ、怒るのは当然だ、心を清らかにしようとしたところで怒りが起きたので私はだめな人間だ」などなどの価値観は絶対禁止です。気づきを実践す...
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5月1日読了時間: 1分
価値観は真理の敵
Sati の実践に入らない、関係がない対象は一つもないのです。気づきの実践で、全ての現象の本来の性質を発見できるのです。智慧が現れるのです。この観察方法は、普通の人々の観察方法とは違います。普通の世界の観察には、価値観は欠かせない条件です。価値がなければ観察しないのです。価...
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4月30日読了時間: 1分
私を知ることを智慧と言う
身・受・心・法の四つを観ると私たちに何が分かるのでしょうか。この身体、身体の感覚、そして心、という三つは、私と名付けられる全てです。その三つを観察することは、私を発見することになるのです。主観的・偏見的な観察と違って、客観的な観察なので、私とは何かと、ありのままの事実として...
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4月29日読了時間: 1分
全ての現象に目覚める
理論的には、一切の現象に気づかなくてはいけない、ということになります。始めから無理な話です。お釈迦様が一切の現象を四つの項目に分けます。その項目は、身・受・心・法なのです。この四つに一切の現象が入るのです。人間の認識順序から言うと、まず自分がいることに気づきます。それから、...
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4月28日読了時間: 1分
ありのままに観察する
人が「私は西洋人が好きです。アジア人が嫌いです」と言ったとしましょう。それはその人の主観で、好き嫌いで、偏見なのです。西洋人が良い人間で、アジア人が悪人だということにはならないのです。このような態度を取ると、西洋人はどんな人間か分からなくなりますし、アジア人もどんな人間か分...
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4月27日読了時間: 1分
ものごとに目覚める
これで四つの項目について気づくべきだと、説かれたのです。この四つの項目は、大念処経の骨格です。気づきがメインテーマです。一般人は何にも気づかないで生きている存在でしょうか。それはあり得ない話なのです。私たちも、色んなことに気づいて生きているのです。しかし、それがなぜ修行にな...
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4月27日読了時間: 1分
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